サンフランシスコ支部 田中支部長インタビュー

聞き手 石川陽生七段

 

田中支部長は長野県出身だそうですが、長野のどのへんだったのですか?

 

田中 生まれは東京ですが 小さいときに辰野に移り住み、小学校から高校を卒業するまでの少年時代を長野県で過ごしました。

 

どんな少年時代でしたか? 

 

体を使うことが好きでした。小学生の頃は、柔道、高校時代は野球をやっていました。

 

野球ですか。ポジションはどこだったのですか?

 

レフトを守っていて俊足が売り物でした。大学でも野球をやろうと、東京に進学しました。

 

太鼓と将棋も長野県にいた頃から、始めたのですか?

 

太鼓は10歳くらいの頃、辰野のほたる祭りで遊びでたたかせてもらった思い出があります。北海道や輪島など全国の太鼓を勉強しましたが、原点は長野の太鼓かもしれませんね。

 

将棋も同じ頃。長野の冬は寒いですから大人がこたつでよくやっていまして、それを見て自然と覚えました。

 

 

 

お父さんが将棋好きだったのですか?

 

はい、父は棒銀一筋でしたが、強くて有段の腕前だったと思います。

 

田中さんは現在サンフランシスコで太鼓道場をやっていて、和太鼓をアメリカに広めた功績を日米両政府に表彰されていますが、アメリカには最初から太鼓をやろうとして渡ったのですか?

 

アメリカには40年くらい前に渡りました、ベトナム戦争の頃です、最初は武道を普及しようと思っていました。

 

 

武道をですか?

 

野球で東京に出てきたのですが、途中で転向しまして。アメリカ人に教えてみると、彼らは体が大きく強くなるのは速いのですが、ファイティングテクニックと捉えていて武道の精神を学んでくれないのです。

 

それで太鼓なのですか?

 

太鼓はサンフランシスコの第一回の桜祭りを見て、日本のお祭りなのに太鼓がない。それではさびしいので第2回から参加したのが始まりです。

 

アメリカでの将棋もそのころからですか?

 

そうです、西海岸は戦前から住んでいる、日本人の年寄りが多く、渡米した頃からやっていました。  

 

今はサンフランシスコ支部の会長をなさっていますが、会はどれくらい前からあったのですか?

 

30年位前でしょうか、好きな者同士が集まって、待ったクラブの名前で始めました、将棋連盟の支部になったのは7年前ですが、活動はアメリカの中でも古い方だと思います。

 

支部として、今回の全米大会や、2年前の竜王戦など、大きなイベントがありましたが、何か印象に残ってますか?

 

竜王戦は良かったです。対局者の渡辺明竜王、佐藤康光九段とは、バーベキューパーティーで親しく話しをしました、それも楽しかったですが、将棋の公式戦の雰囲気は素晴らしかったです。 格を感じました。

 

「格」ですか。

 

勝負の美学というか、勝者の敗者への思いやりなど、武道にも通じる格です。将棋も日本の国技だと思いました。

 

全米大会についてはどうですか?

 

7年前、支部になってからロサンゼルスで行われた大会に初参加しました。将棋好きがアメリカにたくさんいたのに驚きました、そしてサンフランシスコでもやりたいと申し出ました。 

 

 

サンフランシスコでの全米大会は、5年前に続き2回めですね。

 

野月七段に支部の顧問になっていただきまして、いろいろアドバイスをもらい前回は成功しました。大会の運営は楽しいですが、苦労もあります。私の好きな言葉ですが「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の精神でやっています。今回も下田事務局長はじめ支部のメンバーの尽力でよい大会になると思います。今回総領事公邸でレセプションを開いてもらえるのは、全米棋界にとって歴史的な意義があることだと思います。

 

 

 

いろいろお話を聞かせて下さってありがとうございます。最後にこのインタビューは長野県将棋情報サイトというページに載せるのですが、長野県の愛棋家にメッセージをお願いします。

 

信濃の誇りを大切にしてほしいです。大会など集まりのときには、長野県歌の「信濃の国」を歌って下さい

 

 

インタビューは4月8日、サンフランシスコの日本人街で行いました。

 

田中支部長は米長将棋連盟会長と同年だそうです。アメリカに渡ったのが42年前の1967年なので、24歳くらいのときだったのでしょうか。

 

大会の最後4月12日には田中支部長の太鼓道場で、お別れパーティーがありました。

 

太鼓道場はサンフランシスコの郊外にある、広いスタジオのような場所です。パーティーでは太鼓をたたかせてもらいましたが なかなかうまくバチがあたりませんでした。

 

お弟子さんのアドバイスで、足の位置をきめたら、だいぶ音がよくなりました。

 

お弟子さんたちの演奏を聞かせてもらったり、とても楽しいパーティでした。感心したのはお弟子さんたちがとても行儀よくもてなしてくれること、そして田中支部長が太鼓をたたき出すと、まっすぐ正座になって聞いている姿です。

 

田中支部長はアメリカで認められた存在ですが、自らを義理人情を重んじてるという通り、日本人のスタイルを貫いています。

 

アメリカ人の若い女性が居住まいを正している姿は、日本の伝統文化を海外に根付かせた一つの例だと思いました。

 

インタビューでも日本人である誇りや、故郷の信州への想いを強く感じました。

 

 NY林支部長よりSF田中支部長の写真と4月12日のパーティーの写真(太鼓道場でお弟子さんが演奏しています)を送ってくれました。

 

(石川陽生

 

 

 

田中支部長のインタビューはこちらにもありますディスカバーニッケイ(日本移民とその子孫)