zukin.gif高校将棋名勝負集

~高校将棋の歴史を紡いだ激闘棋士列伝~

上田対伊那北を軸に繰り広げられた激闘の歴史

MSG総統・著

utiiri.gif第1章 「予感」       

 話の舞台は2000年からの6年間。つまり小学生の頃から上田支部等で腕を磨いた若者が、続々と上田高校に入学した時期であった。

 名前を挙げると奥村龍馬、丸野崇志、石子忍、倉沢周作の各君であり、4人共、全国大会を経験したばかりか、アマ名人戦でも在学中にアマ名人戦東信代表になった経験を持つ程の腕前を持つまでに成長した者ばかりであった。

 今回の舞台は、彼等の在学時代に絞り、この上田と激しいデッドヒートを繰り広げた伊那北との対決を主点に振り返りたいと思う。

 女子団体では何度も日本一に輝いた伊那北が男子部門でも頭角を現したのもこの頃だったと思う。どちらかというと上田とは対照的に高校に入ってから本格的に将棋を始めた子が多いというのが、私の印象である。これが支部で鍛えた学生達と互角に渡り合うまでに上達するのだから、高校生の可能性というのは計り知れない。奥村君が入学した頃は、特に上田との勝負で印象深いものはなかったが、新人戦の団体部門で優勝、更に翌年は10数名の大量入部があり、同時期に丸野君や石子君が入学した上田との激闘を予感させた。
 dousin.gif第2章 「幕開け」   

  全国優勝経験者を父に持つ奥村君は入学早々の高校竜王戦で優勝、更に新人戦でも準優勝を果たし大物ぶりを発揮していた。伊那北勢も果敢に挑んだが、ことごとく跳ね返された。

そんな中、秋の県選手権で「上田支部VS伊那北」の決勝対決が、三段免状を掛けたB級にて実現する。当時の、伊那北のエースである山口智之君と丸野・石子両君と同い歳の俊英大井悟史君(当時中学3年生)との対決であった。勝負は接戦の末に山口君の勝ち。大井君は研修会で腕を磨く為、翌年東京へと去っていったが今思えばこれが「上田VS伊那北」の激烈な戦いの幕開けとなったのかもしれない

上田は01年に丸野・石子両君が入学して戦力は一気にアップした。ただ奥村君は、個人戦に専念した為、団体戦制覇は丸野・石子両君の担当になった感がある。この2人に武田椎樹君を加えた、1年生トリオで上田は団体戦に臨む事になった。

この上田と決勝でぶつかったのが伊那北である。伊那北は、エース格の山口君にキャプテンの平岩宏樹君、2年生の有賀俊輔君のトリオで登場。前年の新人戦で団体優勝した実力を、如何無く発揮しての決勝進出であった。勝負の行方は1-1のまま山口VS石子戦に委ねられ、激闘の末に山口君が辛勝して伊那北が優勝。女子部門を含めて団体アベック優勝を果たした。

 一方個人戦では、奥村君が快進撃を展開。決勝では、2度目の塩尻支部勢との対決となり(1人目は前年竜王戦での松商学園3年生との決勝対決)松本深志の2年生(この選手は小学生名人戦全国準優勝経験者を倒しての決勝進出であった)を破り、高校棋戦3度目の全国出場を果す。更に全国大会では、堂々3位入賞を果し、今後に向けて大きな期待が膨れ上がった。

 高校竜王戦では上田から奥村、丸野両君が、伊那北からは山口君が県大会に駒を進める。山口君は前年に続いて、7戦全勝による中南信予選突破であった。県大会は、準決勝で奥村VS丸野の同門対決が実現。これを制したのは後輩の丸野君であった。山口君も準決勝で全国上位レベルの強豪を撃破(その相手は2年連続で長野県中学生名人になった男で、当時高校1年生であった)決勝は、前回団体戦のポイントゲッター同士の対決となり丸野君が高校竜王になった。団体戦の仇を竜王戦で打った形となったが、上田と伊那北の覇権争いは、ここからが本番であった。
dennchuu.gif第3章 「覇権争い」

  01年は伊那北に明るいニュースが相次いだ。1年生の大量入部。団体戦男女アベック優勝。高校竜王戦での山口君の準優勝に加えて、アマ竜王戦では伊那北OBの久保村東洋先生が見事優勝を果す。この年の上半期は正に「伊那北旋風」が各種大会で吹き荒れたといえる。

 因みに奥村君も竜王戦や名人戦でも奮闘したが、両大会とも村松公夫先生の前に苦杯を舐めた。特に名人戦では準決勝でぶつかり、終盤必勝型を築きながらの痛恨の逆転負けを喫している。その後、村松先生は元・奨励会二段の実力を如何無く発揮して名人戦3連覇を達成している。

 秋の新人戦でも上田と伊那北が決勝トーナメントでぶつかり合う。私が知る限りでは奥村VS有賀戦とか石子VS伊藤慶宜戦とかがあった。伊藤君は大量入部した1年生部員の1人であるが、ベスト8を掛けた石子戦で見事に勝利を収める。

 当時の伊那北のネックは2年生部員の層が薄かった事なので、1年生にかかる期待が普段以上に高かった。故にこの勝利は伊那北にとって大きな収穫だったと思う。

 また練習では山口君にも勝った事があるという下澤正明君が1年生に中では頭一つ抜きん出ていたようで、来年以降の伊那北に、明るい材料が揃いつつあった。

 だが新人戦は奥村君と丸野君が全国大会出場を果す。つまり上田のワンツーフィニッシュという事になったのだ(優勝は奥村君)奥村君は現役の伊那北勢には1度も負けることが無かった。山口・平岩・有賀といった伊那北の主戦格が次々と彼に挑んだが、次々と退けている。しかし彼は思わぬ所で伊那北の追撃に晒される。
tabigarasu2.gif第4章 「神様のいたずら」

  02年~03年は、結論から言えば上田高校大活躍の年となった。02年の支部対抗戦では奥村・丸野・石子の3君という、高校大会ではドリームチームが上田支部チームとして出場した。ただ彼等は2回戦で松本道場支部に惜敗している。2回戦で消えるには、ちと惜しいトリオであった。

 アマ棋戦では奥村君と伊那北OB久保村先生が竜王戦や名人戦で激突。つまり上田と伊那北の戦いが、高校大会のみに留まらず、メジャーなアマ棋戦にまで飛び火したのであった。いずれも激しい戦いの末に1勝1敗の指し分けとなった。竜王戦では2回戦で、名人戦では1回戦と、当る確率が低い所で対決が実現したのは上田と伊那北の戦いを盛り上げようとした将棋の神様のいたずらであろうか?

 3章で記し忘れたが、上田は新人戦の女子部門でも団体優勝を達成した。それも定時制の生徒で編成されたトリオで、それをやってのけたのだ。

 恐らく上田の女子団体制覇も定時制高校からの優勝チーム輩出も、初めての事ではないだろうか?定時制は色々と忙しく、将棋の練習に費やす時間など、なかなか取れない筈にも関らず優勝を勝ち取るとは、本当に立派な快挙であり頭が下がる。
omen.gif第5章 「名人誕生~世代交代」

  02年は奥村君の大活躍の年であった。まず選手権。前回は全国3位に入賞しており、今回は全国優勝を狙っていた。実現すれば上田高校から14年振りの快挙となる。ただ現実は県大会を優勝するのも大変であった。

 決勝の相手は塩尻支部3人目の刺客である松商学園の選手であった。この松商学園こそ、個人戦で上田と最も激しい覇権争いを繰り広げた高校であり、上田VS松商の決勝対決は、ここ5年間で3回実現している。奥村君とて無傷では済まず、今回の相手とは前年1勝1敗であり、上田VS松商の決勝対決も1勝1敗であった。この決勝戦も大苦戦の末の2連覇であった。この対決を境に松商学園との激闘は休止状態となったが、後に松商学園は「支部対抗戦東日本大会」で猛威を奮う事になる。

 奥村君は高校竜王戦決勝で、またもや丸野君との同門対決となり、これまた苦戦を乗り切って優勝を果たす。そして名人戦では村松公夫、長沢忠宏両先生といった飛び切りの強豪を連破して、ついに長野県名人になる。最年少記録の更新を始めとして高校生名人及び親子アベック名人は長野県史上初の快挙と、正に記録ずくめの名人誕生劇であった。

 更にその活躍は全国大会でも止まらない。高校選手権では優勝こそ逃したものの、前回3位を上回る堂々の準優勝。名人戦では清水上徹先生等の全国トップレベルの強豪を降して決勝トーナメント進出と見事な成績を重ねていった。

 上田高校自体も各種大会で快進撃を重ねた。高校選手権団体の部では、丸野・石子の両君に寺沢達彦君を交えたトリオで優勝。更に奥村君と丸野君はアマ名人戦や赤旗名人戦の2度に渡ってアベック代表となった。特に赤旗では準決勝で、またしても奥村君との対決を実現させたのには驚いた。因みに奥村君が辛勝、決勝で長沢先生に敗れ二冠王にはなれなかったが・・・

 私が高校生時代の奥村君の将棋を見たのは、これが最後となった。彼は後に立命館大学に入学。名門中の名門校でレギュラーに君臨する事になる。一方丸野君は新人戦でも優勝。奥村君が去って後の上田を、いや長野県を引っ張る存在になっていった。

 ところで一方の雄である伊那北は、この頃どうしていたか?ハッキリ言って上田の活躍に手をこまねいていたわけではない。伊藤君をキャプテンに据えて次回の団体戦を目標に着々と力を蓄えていた。そして後に長野県高校棋界を席巻する男が入学したのも、この年である。
tono.gif第6章 「02年戦績・嵐の萌芽」

  02年の伊那北の戦績はというと選手権の団体戦と新人戦で3,4位入賞、竜王戦でも3位入賞と、かなり健闘している。団体戦に重点を置いている伊那北にとって2年生主体でのこの結果は、次の年に向けての大きなステップアップになったと思う。

 団体戦では、2チームが準決勝進出、特に有賀、伊藤、下澤の3君のトリオに大きな期待がかけられたが、残念ながら松本深志の前に敗れ去る。もう1チームも上田に屈して連覇の夢は潰えた。

 高校竜王戦では1年生部員が活躍する。その1年生の名は林泰臣君。私が5章にて「長野県高校棋界を席巻する男」と称した選手が、この人である。中南信予選を7戦全勝で通過して、下澤君と共に県大会に進んだ彼は、準決勝で丸野君の前に敗退したが、3位決定戦で勝利してまずは上々の高校デビューであったと思う。新人戦でも3位入賞と、これまた伊那北では最高成績を修めて、この時期から既にエースと認知されつつあった。

 但し上田、特に丸野君の壁は未だ厚いようで、新人戦では林君の他に小山陽次君がベスト4に、伊藤君がベスト8にまで勝ち上がったが、2人共に丸野君に敗れてしまう。林君も全国出場まで、あと1勝と迫りながら、松本深志のエース格に惜敗した(因みにこの松本深志のエースは団体戦に続いて2度目の準優勝で深志から、そして中信地区からの全国出場者輩出は4年振りだったと思う)しかし全国には届かなかったとはいえ、何人もの選手が上位に進める伊那北に安定した実力を感じた。

 林君の他に活躍したなと思ったのは2年生の小山君だと思う。竜王戦中南信予選で上位に肉迫、新人戦では石子君を破りベスト4に進出。私はいずれも見ていたが、彼が来年の団体戦の切り札になるのかなと感じた(最も私は部外者なので、当日にならないとメンバー構成など分る術もないのだが)
utiiri2.gif第7章 「上田勢大躍進」

  03年。倉沢君が上田に入学したこの年こそ、上田と伊那北が激しくシノギを削った年だと思う。倉沢君は中学選手権で優勝と準優勝を、それぞれ1度ずつ達成していたと思う。

 中学での実績では奥村・丸野・石子の3君より上である。因みに丸野君は小学生名人になった事があるし、石子君も中学選手権準優勝の経験を持っている(小学生名人になった事があるかどうかは不明)奥村君が、意外と実績が乏しいが、小学生名人戦全国準優勝の大下慧香君や県中学選手権2連覇の池上俊輔君の存在が、当時の奥村君(無論他の東信勢もだが)にとって大きな障害だったのかもしれない。

 小中学生の頃から実績を重ねた選手を抱える上田に対して、高校から本格的に指し始めたと思える伊那北の3年生部隊は、選手権団体の部で伊藤・下澤・小山の3君によるトリオで勝負をかけた。伊那北もまた、この団体戦に全てをかけていたのだ。一方の上田は丸野・石子・寺沢の3君による前年優勝トリオで連覇を目指す。この為、次代のエース候補の林君と倉沢君は個人戦に回る。

 林君と倉沢君が最強トリオに編入されなかったのはアベック優勝や連続優勝といった両校の方針やチームに対する思い入れ、拘りがあったと思うが、もう1つの理由として、3度しかない高校大会ならではの心情を挙げたい。3年生にとっては、最後の大会になるので出来るだけ大きなチャンスは3年生に回したいと考えるのが心理だ。但し、実力だって重視しなければならないし、したからこそ、このチーム編成になった筈だ。私が6章で伊那北が林君でなく小山君を切り札にするものと確信していたのは、3年生の思いと勝利至上主義という、一見矛盾しそうな要素を重ねて考えた末の事である。

 最も倉沢・林両君は皮肉な事に両者とも、同じ高校の3年生に敗れる。正しく先輩の意地を見せ付けられた格好で厳しい洗礼を受けたわけである。倉沢君を破った堀内浩君は東信対決となった決勝で上田東の選手を破り、上田に個人戦3連覇をもたらした。

 そして団体戦では上田と伊那北が2年振りに決勝で合間見えた。特に伊那北は初戦において、これまた長野支部会員で固めた長野高校をストレートで下している。この長野も県3位入賞経験者2名に前年の長野県中学生名人という強力トリオだっただけに正直驚いた。誰かが、ミッチリ練習すれば1年足らずで急速に上達すると言ったが、伊那北が見事にそれを証明して見せた。

 そんな伊那北が相手だっただけに流石の上田トリオも苦戦したようだったが接戦の末2-1で勝利をモノにする。上田にとっては前回の雪辱を果しての連覇であり、2年連続の男子部門独占であった。また同一トリオでの優勝は、恐らく平成に入ってからは初めてで、現時点では最後だと思う。丸野・石子両君にとっては、3年連続の決勝進出であったが、これも平成初だ。この3年間の団体戦で丸野君は無敗、石子君も僅か1敗ということで、正に上田大躍進の原動力となった。
karou.gif第8章 「伊那北雪辱戦での勝利」

  まず1つ訂正したい。丸野君が県アマ名人戦に初出場を果したのは02年でなく01年である。02年の県アマ名人戦に初出場を果したのは石子君であった。但し奥村君の2年連続出場は事実である。つまり上田高校は2年連続の現役高校生部員2名出場を果したのである。これも多分、平成に入って初めての事だと思うが・・・(最も名人戦優勝者にはシード権が与えられるので、前年優勝した奥村君は3年連続の県大会出場となる)

03年の高校竜王戦は上田と伊那北の全面対決の様相となった。何しろ1次予選において両校とも3人の代表を出したのだから・・・1回戦では堀内VS下澤戦、丸野VS田中達也戦が実現して、下澤君と丸野君が買って1勝1敗。準決勝は丸野VS林、石子VS下澤という完全なる上田VS伊那北対決となった。伊那北にとって林君が前年竜王戦の(奇しくもこの時も準決勝だった)下澤君が団体戦の雪辱戦であった。

勝者となったのは林君と下澤君。ついに伊那北は、上田へのリベンジを果したばかりか竜王戦初となる伊那北同士の決勝戦を実現させたのであった。そして林君の優勝で竜王戦は幕を閉じた。ただ下澤君も中南信予選で前年新人戦県代表を破っての予選突破や、押し気味に試合を進めた決勝戦等の敢闘ぶりも見事であった。因みに丸野VS石子の3位決定戦は石子君が制している。

奥村君がアマ名人戦出場の為、長野に帰省して再び大活躍を見せる。準決勝で何と親子対決が実現(これは長野県名人戦史上初である)私の知る限りでは公式戦での奥村親子対決は2度目、1回目は東急有段者戦以来だと思う(決勝戦!)東急では父親が勝ったが、今回は奥村君が勝利を修め、その勢いで2連覇を達成した。

上田の丸野&石子君、そして伊那北が期待を寄せた十数名の3年生部員が引退しても、この両校の激しい戦いは終らない。
zukin2.gif第9章 「終わらない戦い・佐久勢見参」

  03年も下半期となり伊那北は林君が部長となって名実共に部を引っ張る立場になった。彼は竜王戦全国大会にて決勝トーナメント進出を果し、ますます充実した将棋を指していた。一方の倉沢君も上田のエースとしての活躍が期待されるべき存在になったと言える。

 この2人の直接対決は秋の総合文化祭にて実現した。私が知る限り、2人が高校大会で戦ったのは、この1局のみである。この勝負は倉沢君が制している。結果的に先輩の丸野君の仇討ちに成功した形となり、上半期では不本意だった筈の倉沢君にとっては自信を取り戻す大きな勝利だったのではと思う。

 ただ新人戦では両者共に決勝に残れず全国出場はならなかった。決勝は佐久長聖と野沢北の選手による、恐らくは新人戦初と思われる佐久同士の決勝になった。佐久出身の選手が高校個人戦で優勝すること自体、高校選手権にて臼田から優勝者を出した時以来、実に17年振りの事だった。結局佐久長聖の選手が優勝したが、今思えば、これが今日の佐久学生棋界勃興の狼煙を上げる一戦だったかもしれないし、長野県の高校棋界に新しい波が起こるキッカケだったかもしれない。

 そんな中、林君は自身の竜王戦連覇と、母校の団体V奪還を、倉沢君は個人戦に的を絞って県代表のみならず全国での上位進出を目指す。
ninja.gif第10章 「04 長野南の足音」

  04年の選手権は林君が団体戦で鈴木秀文、瀬木健太郎の2君との3年生トリオで前年準優勝の雪辱を狙えば、倉沢君は個人戦で優勝を目指していた。これに立ちはだかったのは昨年の新人戦で2人のファイナリストを出した佐久勢と2人の強豪1年生であった。

 まず団体戦だが、伊那北は前年に続いて2チームが準決勝進出。林君率いるチームは準決勝で松本深志と激突した。団体戦初出場で大将を務める林君と相対したのは、前年の長野県中学生名人であり、松本道場支部期待の1年生選手であった。両者の意地と意地がぶつかった大熱戦は相入玉となり林君は駒数不足で惜敗するも瀬木、鈴木両君が勝って2-1で松本深志を退ける。

 決勝の相手は野沢北。因みに女子の決勝も伊那北VS野沢北となっており、こちらは伊那北が制する。3年振りのアベック優勝が射程距離に入った中、1-1のまま両校の運命は大将戦に託された。一進一退の熱戦は、最後の最後まで紙一重の戦いであったが、勝ったのは野沢北大将であった彼自身にとっては新人戦準優勝に続く2度目の全国出場を果した。あと一歩の所で全国切符を落し2年連続で決勝で泣いた伊那北。林君もさぞ悔しかったであろう。団体戦の勝ち負けほど重い物はない。そこが団体戦の怖い所であり、また醍醐味でもあるのだが・・・

 一方の倉沢君は、これまた準決勝で注目の1年生選手に敗れ悲願の全国出場の夢潰えた。長野南に入学した、この1年生選手は決勝で前年の新人戦を制した佐久長聖の2年生選手を破り優勝する。そしてこの勝利を皮切りに長野南が新興勢力として頭角を現す事になる。

 伊那北は竜王戦にて激しい巻き返しを見せた。中南信予選では準優勝メンバーが各ブロックに分散されたという幸運にも恵まれ、林、鈴木、瀬木、更に春日将宣の4君が中南信代表に、つまり伊那北は史上初の代表独占をやってのけたのであった。そして3年生選手による代表独占も、中南信予選では初めてのことであった。しかもこれを伊那北だた一校のみでやってのけたのだから羨ましい事この上ない。

 ただ2連覇を目指す林君が大苦戦を味わった。リーグ中盤で松本深志の2年生選手に敗れ、予選落ちのピンチに立たされたが、最終戦で2年生の小林学君が相手の全勝を破るという後輩の援護射撃によって再浮上。プレーオフでは林君が雪辱して、辛くも3年連続県大会出場を決めた。

 一方、倉沢君は東北信予選を順当に勝ち抜き、上田の期待を一身に背負う形となって伊那北の物量攻勢に立ち向かう事になった。
matimusume2.gif第11章 「女棋士の気炎」

  04年の高校竜王戦は、まず女子高生棋士が史上初の記録を達成する。女子としては7年振り2人目となる東北信代表になった野沢北の深井香陽子さんが、女性初の県大会勝利を挙げた。女子のレベルも年々上がってはきていたが、今や男子とも互角に渡り合うまでなったとなると、将棋界の未来も明るい兆しが見えてくるというものである。どの分野においても女性の進出が活力を与えるのだから・・・

さて注目選手はというと伊那北は林君と鈴木君が初戦突破。特に鈴木君は全国に2度出場の経験を持つ野沢北の選手を倒す。奇しくも団体戦での林君の仇を取った格好になった。伊那北は新人戦のみならず竜王戦でも2年連続で準決勝に2人進めた事になる。団体戦でも2年前に準決勝2チーム進出を果しているのだから、いつもながら伊那北の選手層の厚さには舌を巻いてしまう。

更に準決勝では鈴木君が倉沢君を、林君が深井さんを破り、竜王戦では2校目となる2年連続のワンツーフィニッシュを達成した。決勝では林君が勝ち2連覇を達成。伊那北では2人目の快挙であった。こうして伊那北の大黒柱の高校将棋界の戦いは終った。翌年彼は東北大学に入学。北国一の実力校の中で揉まれながら充実した大学生活を送っているようである。

高校大会では選手権と竜王戦共に3位に甘んじた倉沢君だが、アマ名人戦で大活躍を見せる。現役上田高校生としては4人目の東信代表となり(彼自身は前年の赤旗名人戦に続いて2度目の地区代表であった)そこで2勝を挙げて奥村君以来のベスト4進出を果した。倒した2人は共に県大会優勝を何度も経験しているベテランの強豪棋士であり、これほどの戦いが出来る倉沢君が、何故高校チャンピョンになれないのか不思議でしょうがなかった。

だが高校総合文化祭で、彼はようやく優勝を果たす。スイス式5回戦で行なわれたこの大会で快調に星を伸ばした倉沢君は決勝戦で小林学君と激突した。林君の跡を継いで伊那北の新部長となった小林君は選手権覇者と中学生名人経験者という2人の北信地区の強豪を破っての決勝進出を果したのだが、倉沢君は、この小林君の勢いを力強く跳ね返しての見事な優勝であった。

最も彼は素直に喜べる心境ではなかったようだ。恐らく全国につながる大会ではなかった事と「あの男」と戦えなかった事が理由だと思う。「あの男」とは先に10章にて紹介した松本道場支部出身の深志生の事である。私と同じ安曇野市出身のこの男は、高校に入る前から、その名を知られており、老若男女問わず彼との勝負を望む方達が大勢いるほどであった。倉沢君も、その1人であったが、練習試合で1局戦ったくらいで、公式戦では1度も対決した事がない筈だ。

 総合文化祭は2つのリーグに分かれており、彼と倉沢君は別々に分かれた為に対決が実現しなかった(つまり優勝者が2人出るのである)この深志選手も快調に星を伸ばし、最後は伊那北の女性エース(そして個人戦準優勝者でもある)丸田真奈美さんを破って優勝した(丸田さんもまた何人も男子選手を倒すほどの実力者であり、今回も男子交じりの大会に参加していた)
dennchuu2.gif第12章 「友は宿敵」

  話が前後するが、04年も伊那北勢の上位進出が随所で見られた。まずアマ竜王戦において伊那北OBの北原孝浩先生が優勝する。既に何度もタイトルを手にしているが、竜王位の獲得となると、喜びもひとしおだったであろう。伊那北OBとしては久保村東洋先生以来の竜王位奪取であり、翌年の同大会でも準優勝を果たしている。因みに北原先生は支部対抗戦の準決勝で奥村明先生と激闘を展開したが、幾ら龍馬君の父とはいえ、これを「上田VS伊那北対決」とこじつけるのは流石に強引過ぎるであろうか?(結果は奥村先生の辛勝であった)

 現役生では林君が高校竜王戦の全国大会で二年連続の決勝トーナメント進出を果す。本格的に将棋を指し始めて僅か二年余り、良くぞここまで成長したものだ。その林君が退いた後の新部長小林君の活躍については、その11で述べた通りだが、新人戦では1年生の活躍が光った。B級ながらも個人戦にて竹村学君が優勝、遠藤芳樹君が準優勝と見事なワンツーフィニッシュを達成、翌年以降に大きな期待を持たせる事になった。

 その新人戦A級だが倉沢君がベスト4にまで勝ち上がっていた。代表枠は2名なので、これに勝てば全国大会出場が決まる。相手は長野高校のエースであった。倉沢君と同い歳のこの男。中学時代では2度倉沢君と対決して1勝1敗、優勝も1度ずつ分け合っており、親友かつ宿敵であった。今回も準々決勝で前年新人王となった佐久長聖の選手を倒しての登場であった。そして倉沢君は、無念にも、この宿敵に苦杯を舐め、今年3度目の準決勝敗退。長野県の頂点は、近いようで遠い。彼の苦戦ぶりを見てると、こう表現するしか私は術を知らない。
omen2.gif第13章 「死闘を望んだ男たち」

  新人戦男子個人A級準決勝の、もう一つのヤマは松本深志同士の対決となり、噂の1年生エースが選手権覇者を倒して勝ち上がった先輩2年生を撃破。そして決勝で長野高校のエース格を破り彼自身2度目の優勝を果たす。残るは団体戦であったが、意外にもここで好カードが実現する。この新人戦覇者と倉沢君が激突したのであった。

 新人戦の団体戦は二日目にスイス式5回戦で行なわれ、参加選手は選手権のそれと違って個人・団体の両方に出場する事が出来る。ただし全国大会への予選ではなく、ベスト8以降の個人戦と同時進行の為、決勝及び3位決定戦を戦った倉沢君及び深志選手が団体戦を戦うとしたら最終戦くらいなもので、時間的にも、また精神的にも団体戦を戦うだけの余力が持てない筈だったが、その最終戦で偶然にも上田VS松本深志戦が組まれた為、この対決が実現したのであった。

 彼等が公式戦とはいえ消化試合でぶつかったのは(この時上田も深志も優勝圏外であった)公式戦での対戦経験が無かった事と、やはりライバル意識が高じたからであろう。倉沢君が、新人戦覇者となったこの男との勝負を熱望していた事は私にもハッキリと打ち明けていたし、相手の方も倉沢君に勝って優勝に箔をつけたかったと思う。それくらいに2人のライバル意識は高く、私は2人が駒を並べているのを見て、これは私的な決闘だなと思い込んでいた。いや、その考えに間違いは無いと思うが、これから公式戦を戦う事を知らなかった。この時点で私は、上田と深志のカードが組まれた事に気付いていなかったし・・・

 公式戦の名を借りた私闘(?)は倉沢君の負けとなったが、私にとって結果は二の次であった。大会の疲れを物ともせず、お互いのの意地をぶつけ合って熱戦を繰り広げたという点で、敢えて表題と関係のない一戦を取り上げた。それほどに私の頭の中で強く印象に残る一戦であった。
omen1.gif第14章 「05~優勝独占」

  05年。ついにこの題材の最後の月になった。この年の上田は3年生トリオを2チーム出場させた。倉沢君ばかり取り上げていたが上田の選手層も、なかなかに厚い。前から将棋の盛んな高校である上に、奥村君ら先人達の活躍も大きく貢献しているのであろう。一方の伊那北も2チーム出場させており、中でも小林君に遠藤・竹村の2年生部員2君を加えたトリオに期待をかけていた。この伊那北最強チームと上田Bが1回戦で衝突する。上田は良く善戦したと思うが、2-1で伊那北に凱歌が上がり、上田Aも2回戦で岡谷南に惜敗する。

 だが伊那北も、もう1チームが松本深志Bの前に苦杯を舐め、最強チームも2年生を揃えた野沢北の前に準々決勝で散った。更に2年生主体の岩村田が決勝に進み、時代の流れは佐久市勢に傾いてきた事を印象付ける大会となった。ただ優勝したのは松本深志であった。やはり大将を務めた2年生エースの力は絶大で、圧倒的な力を見せての優勝であった。

 この2年生エースは深志を全国ベスト8に勝ち上がる原動力となり、更に新人戦V2を達成。全国でも前年に続いて予選突破してベスト16に進出する。彼は長野県内の高校大会では1度も負けを知る事はなかった。そして岩村田も後に団体戦2年連続の準優勝という結果を残す。ここもいつかは全国への扉をこじ開ける事になるであろう。

 一方個人戦では連覇を目指す長野南の2年生エースと倉沢君の対決が注目された。前年は準決勝でぶつかったが、今回は早くも3回戦で実現する。そして倉沢君の悲願は、ここでまたしても潰えてしまう。他のライバルが次々と全国切符を手にする中、彼の焦燥感は相当重かった筈だ。ましてや残るチャンスは竜王戦ただ1つのみとなったのだから・・・

 倉沢君を破った長野南の2年生エースは、その後も破竹の勢いで勝ち進む。更に別のブロックでは同じ長野南の1年生が勝ち上がり、決勝戦は史上初の長野南同士の決勝戦となり先輩に意地を大爆発させた2年生エースが2連覇を達成した。彼は今年の同大会も制して、平成に入ってから2人目の3連覇を成し遂げる。(3年連続決勝進出は3人目であるが)

 更に長野南は団体戦でも優勝して男子部門の独占という快挙をやってのけるのであった 。
daisiti.gif第15章 「悲願達成」

  05年の高校竜王戦東北信予選は混迷を極めた。1名全勝通過があったものの、1敗に8人が並ぶというダンゴレースと化した。倉沢君は前年新人戦代表を破った時点で全勝だったが、最終戦で佐久長聖の新戦力に敗れ、1敗グループに吸収された。だがプレーオフで雪辱を果し、辛うじて県大会に駒を進めたのであった。

 一方の中南信予選は伊那北勢が相変わらず各ブロックで上位に勝ち上がる。南信勢による3年連続の代表独占こそ松本県ヶ丘によって阻まれたが、伊那北からは小林君と遠藤君が県大会出場を決めた。

 この年も結局伊那北から複数の代表が生まれたわけであるが、今年も竹村君と広瀬大地君が中南信代表となった為、現在もその記録は更新中である。そして竹村君は後に新人戦で準優勝を果たし、伊那北から21世紀初の新人戦長野県代表となり、全国大会でも勝利を味わった。

話を竜王戦に戻す。県大会で上田と伊那北の頂上対決が実現する。自身の意地と母校の威信をかけた倉沢君と小林君は、倉沢君に凱歌が上がった。優勝には届かなかった小林君であったが3位決定戦は勝ちを収める。これによって伊那北は、この大会5年連続の入賞者輩出となった。

そして決勝戦、彼の相手は後に選手権3連覇を果した長野南の2年生エースであった。高校大会優勝と宿敵に借りを返す最後の機会だけあって、倉沢君の指し回しは(1回戦でもそうであったが)実に慎重であった。中盤で優位になってからは、更に安全運転に徹底して、ついに悲願の全国大会出場を果したのであった。
最終章 上田VS伊那北「さらに続く戦国時代」

 ここまで「上田VS伊那北」と銘打って両校が激しくシノギを削った6年間を振り返ったが、この6年間に上田は6名、伊那北は5名全国大会に出場した。優勝回数は(全国大会の予選のみ)上田11回、伊那北3回と大差がついたが、団体戦に絞ると上田が優勝2回に対して伊那北は優勝1回、準優勝2回と、ほぼ五分の実績といって良い成績を残している。特に2年連続となった準優勝は、全く違うメンバーによって果された記録である。

 同じ選手層の厚さを誇る強豪ながら方針が微妙に違った上田と伊那北。例えば選手権だが、伊那北の場合、主力の全てを団体戦に注ぎ込んだ感があるが、上田は必ずしもそうではなかった。奥村君や倉沢君みたいに個人戦1本に絞ってゴーイングマイウェイ的な戦いを繰り広げた選手も多く見受けられた。

 奥村君や倉沢君が個人戦1本に絞り、丸野君と石子君が団体戦に専念したのは、それぞれの思惑があった事は言うまでもないが、私が断言出来るのは彼等が決して楽な道を選択した訳ではないという事である。長野県の予選を勝ち抜くまではイバラ道であったことは私がハッキリこの目で見届けている。全国で2,3位の活躍を見せたアマ名人の奥村君ですら、良く長野県代表になれたなと思う程、当時の長野県の高校レベルは高いものであった。彼に引きずられるように丸野君や石子君を始めとして幾多の優勝者が出てきた上田。他の選手を鍛えながら自分自身が強くなったという点で将棋の技術だけでなく、人間的にも大きく成長したと言えるのではないだろうか?

 一方の雄伊那北も最終目標は団体戦制覇だと思うが、他の大会でも多くの上位進出者が続出。上位を占めた割合では昔から強豪と謳われた上田や松本深志を凌駕し続けた。伊那北にとって新人戦や竜王戦は最終目的を達成する為の布石であり、自信をつける為の実戦演習の場。これが私の、伊那北に対する私論であるが、自分の目標と部の方針が上手く調和して各大会で好成績を重ねていった。伊那北の部員は、中学時代まで全く無名だった少年達の集まりである。それが高校に入って急激に、そして着実に強くなっていった戦闘集団へと変貌を遂げた。人間何事も成せば成る。伊那北はその事を幾多の戦いで立証してみせ、将棋だけでなく人生のお手本的な存在になった。

 6年に渡って上位で激しい戦いを繰り広げた上田と伊那北。それまで松本深志の天下が長く続いた感のある長野県高校棋界を大きく塗り変えたと言っても過言ではないであろう。最近は佐久勢や長野南の台頭で戦国時代的な様相を呈しているが、上田と伊那北は今後も激烈な覇権争いを繰り広げていく事であろう。