hito7.gif高校将棋名勝負集

~高校将棋の歴史を紡いだ激闘棋士列伝~

塩尻支部 VS MSG(99年道場対抗戦)

「決断と実行力」

MSG総統・著

 haguruma2.jpg塩尻支部学生3人衆集結

 今回は学生トリオが並居る大人達の強豪トリオを押し退けて頂点に登りつめた例を取り上げたいと思う。舞台は7年前の全国道場対抗戦の予選リーグである。例年松本将棋道場で開催されるこの大会において、我が塩尻支部から出場した中学生・高校生・大学生という学生3人のトリオが、今回の主役達である。

 彼等の名は池上俊輔君、柏原哲也君、中島良彦君の3人である。当時池上君は長野県中学生名人であり、翌年にはV2を達成。柏原君は選手権個人の部と東急を制した高校2冠王。中島君は北信越大学棋界でも屈指の実力者と言われるほどの学生強豪であった。まあ言わば学生棋界ではドリームチームであったと言えるが、中信地区だけでなく南信地区からも多くのベテランチームが集う大会で、どれだけの活躍が出来るのか、期待と不安が入り混じっての大会参加であった。

 この大会には松本道場支部の強力チーム(特に小林勇司先生をリーダーとする松本市チームや力戦派のベテラン強豪を揃えた穂高町チームが優勝候補だった)の他に岡谷道場支部も支部対抗戦並みの強力メンバーを揃えて出場。更には上伊那支部も参戦していた。その中で本題のテーマをVS丸山将棋軍団(通称MSG、別名丸山赤軍)としたのには、2つ理由がある。1つは最終戦でMSGが「マジック1状態」の塩尻支部学生トリオとぶつかり、大混戦を演じた事。もう1つは、大会前に選手の確保を巡って、プロ野球のドラフトまがいな獲得競争を展開したからである。

 塩尻支部とMSGの戦力獲得合戦については、次の項で述べる。

juudan.jpg集結の裏の獲得劇

 当初私が柏原君と池上君に声をかけて道場対抗戦に臨む予定であったが、この話を聞いた中島君が、この2人を譲ってくれと私にお願いをしてきた。私は、こっちが先に声をかけたのを理由に断ったのだが、中島君は諦める事無く2人に誘いをかけた。私がそれを知ったのは譲ってくれと頼まれた2,3日後であり、2人共どうしようかと思いながらも事の顛末を見守っていたようだ。結局私も、この3人のトリオも面白そうだなと思うようになり中島君に2人を譲る決心をしたのだが、この「妥協」が大会全体に大きな影響を及ぼす事になろうとは私自身全く想像だにしなかった。

 とどのつまり私は中島君に柏原、池上両君を横取りされる形となってしまったが、私は決して彼を恨みに思ってはいない。彼は欲しいと思ったものを諦めずに最善を尽くし選手の獲得に勤しんだまでの事であり、またそれだけ柏原、池上両君が魅力的な選手であったという事である。ただ選手の獲得を巡って、これだけ腕の引っ張り合いみたいなケースは珍しいなとも感じたが・・・

 厳密に言えば道場対抗戦に予選は無い。出場資格さえ満たせば誰でも全国大会に出場出来る。ただ松本道場で開かれる大会に優勝すると交通費を松本道場支部の方で一部負担してもらえるという特典があるのだ。松本道場支部は、この他に関東アマ予選も主催しており、多くの地元(中信地区)の愛棋家が参加している。このように1人でも多く地元の人達に全国大会出場の機会を与えようと心掛けている姿勢が、松本道場支部の魅力の1つであるのかもしれない。

 さて大会の結果はどうなったのかは、次項から述べる。

hito2.gifhito2.gifhito2.gif昨日の戦友、今日の敵

 大会は8チームが参加しての総当りリーグ戦で行われた。塩尻支部トリオのメンバー順は三将に柏原、副将に中島、そして大将には、学生トリオの中でも一番若い池上を持ってきた。それは何故か?彼等は大将戦を捨てて残り2人で勝つという作戦だったのか?答えは否である。もっと言えば大きな間違いである。彼等は3つとも勝つ為に、このようなチーム編成を試みたのである。中島や柏原が池上をせっついたのか?池上が自ら志願したのか?今となっては真相は闇の中だが、このチームの場合(3人の向上心の強さ、特に池上の性分を考えると)どちらとも可能性が高いと私は推測している。

 リーグ戦の方は中盤で全勝チームが消え1敗に2,3チーム程のチームがひしめく混戦となるが、このダンゴレースを抜け出したのは塩尻支部であった。岡谷道場支部に敗れただけで1敗をキープして最終戦を迎えた段階で単独トップに踊り出る。大将を務めた池上もタイトル保持の経験を持つベテランを連破してチームの勝利に大きく貢献。殆どが2-1の勝利だっただけに、いかに皆で助け合って勝ち星を重ねてきたかを伺う事が出来よう。

 そして彼等は最終戦を迎える。相手はMSG、つまり私のチームであった。我々はどうだったかというと、ここまで3勝3敗で優勝争いからは蚊帳の外であったが学生達にそうトントン拍子に行かせてなるものかと気合を入れていた。私自身ここまで上伊那支部戦ではアマ名人戦2連覇を経験したベテラン棋士を、松本道場支部戦では自分の師匠を破り上り調子であった。対戦相手となる池上とは練習で何局か指したが当時はまだ彼に一度も負けた事はない。だから自分だけでなくチームとしても勝てるという自信を持って塩尻支部との対決に臨んだ。

 試合の方は1-1のタイスコアとなる。静岡で腕を磨いたという20代の若手棋士の奮闘して勝利をもぎ取った事が、更にこの勝負の緊張の度合を高めていった。残った対局は池上VS丸山の大将戦のみとなる。池上が勝てばスンナリ塩尻支部の優勝となるが私が勝てば選手の勝ち星で上回る岡谷道場支部が優勝という事になる。中学生にしては、これだけでもプレッシャーの大きいのに加えて私も彼のキャリア不足を衝く目的で急戦向飛車を持ってきた為に彼の重圧は二重三重と重なったいた事であろう。事実序盤は、私の言い分がほぼ通ってしまい彼は苦心を重ねる事となった。

 チームメイトとなる筈だった2人の対決の結末は・・・・。

juujika.jpgもうひとつの敵「時間」を制した男

 池上君は私の急戦向飛車に対して飛車交換~自陣飛車で対応する方策を取った。以後は自陣を整備しあう膠着状態に入った後、角交換が実現によって大混戦の幕が開けた。中盤で私はカウンター攻撃を敢行、これが功を奏して優位を確信していたが、途中に犯した一矢を境に逆に池上君が攻勢となる。そうこうしている内に両者に、持ち時間の消耗という、もう1つの難敵が登場する。終盤では持ち時間の消費差が微差であった事が両者の焦り、特に優勝というプレッシャーを背負った中学生大将に重く圧し掛かる。

 両者決め手を欠いたまま、結局勝負の行方は、どちらが先に時間が尽きるかに掛ってきた。最後は超早指しとなったが、結局先に針が落ちたのは私の方であった。その瞬間私は思わず「落ちた!」と叫び、その声に反応した塩尻支部の選手達は時計を凝視、池上君の勝ち(つまり自分達の優勝)を確認した瞬間、3人は丸で蜂の巣を突付いた騒ぎのように小躍りしながら「ヤッタ!ヤッタ!」を連呼していた。これが、学生のみで構成された若手トリオの劇的な優勝の瞬間であった。

彼らのその後hito5.gifhito5.gifhito5.gif

 こうしてベテラン達がひしめく混戦を制した学生トリオは、これをキッカケに各種大会にて活躍する事になるのだが、その後彼等が、どう活躍したのかを団体戦に絞って振り返る。

 中島君と池上君は翌年の道場対抗戦予選も京谷淳先生とのトリオで連続優勝。その後更に北信越大学王者(長野県準竜王にもなった)北野敬寛君や奥村龍馬君と組んで準優勝を果す。

 中島君は4年前の大会で田中博巳君と藤居賢君とのトリオで3度目の優勝を果たす。純血な長野支部会員のみによる唯一の優勝であった。5年前の秋季北信越大学リーグ(7人1組の団体戦)では信州大学の主力選手として新潟、金沢の両大学と三つ巴の大激戦を展開する。惜しくも選手の勝ち星の合計で首位に1勝及ばず3位に甘んじて大魚を逸したが、当時無敵と言われていた新潟大学を破る大金星を挙げ、選手及び関係者を驚かせた。私や池上君とのスパーリングや松本深志高校との交流戦で精力的にトレーニングをした事が大善戦に結びついたのであろうか?

 柏原君は3年前に土屋英樹先生と丸山佳洋と組み支部対抗戦に出場。塩尻支部の初優勝に大きく貢献して男を上げる。更に関東大学リーグではB級2組の番人(失礼!)と言われた東洋大学をA級にまで導く原動力となった。

 池上君もまた中央大学をA級昇級に導く大活躍を披露。そして何と言っても今年の支部対抗戦東日本大会で新井浩実、有田勝両先生と「松商学園OBトリオ」で塩尻支部を準優勝に導いた。県大会から通算すると11勝1敗という驚異的な勝ちっぷりであった。

 それにしても道場対抗戦における学生トリオでの優勝を振り返ると「決断」と「実行力」の強さによるところが大きいと思っている。最後まで柏原、池上両君の獲得を諦めなかった中島君の実行力。池上君の大将抜擢、僅か1敗で乗りきった柏原君の安定感と、3人の持ち味が存分に発揮されての見事な優勝であった。特筆するべきは、若い彼等3人が誰に言われる事無く、また頼る事無く自発的に考え行動し結果を残した事であろう。彼等を見ていると「今時の若い奴は・・・」なんて、とても言える気分にはなれないなと痛感するのである。

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