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2006支部対抗戦

「学生団体戦名勝負集」

中信同士の戦い~学生棋士と熟練棋士の熱き戦い~

matoi.gif第1章 学生棋士の登場

今回は約十年ぶりの中信同士の決勝戦となった2006年度の支部対抗戦にスポットを浴びせたいと思います。

主役となる学生棋士は塩尻支部の池上俊輔君、松本道場支部の嶺山友秀君、そして両方の支部会員である藤牧寛之君である。例年冬に開催されるこの大会。当時池上君は中央大学2年生で06年度の部長でありエース格といっても過言でない存在であった。嶺山君は松本深志2年で長野県最強の高校生棋士とも言える存在であり、藤牧君は中学1年生ながら前年の県赤旗名人戦ベスト4という実績の持ち主であった。

この大会にて池上君は有田勝、新井浩実の両先生と組んで臨んでいる。池上君にとってこの2人は、松商学園の先輩にあたる事から「松商学園OBトリオ」と呼ばれた。一方の嶺山君は藤牧君と合体、深志OBの船坂徹先生をリーダーに担いでの登場だった。塩尻支部は4チーム、松本道場支部は5チームを送り出しているのだが、その中でもこの2チームは最大の目玉チームといって良い強力トリオであったといえるのではないだろうか?

mikosi.gif第2章 彼らの戦跡

ここで主役となる3人について語りたいと思う。

池上君が2年連続の長野県中学生名人「塩尻支部VSMSG」でも述べたが、特に辛酸を舐めたのが東信勢である。大井悟史、丸野崇志、石子忍といった俊英各君が、ことごとく彼の前に苦汁を飲まされ、奥村龍馬君も東急の中学生大会決勝で惜敗している。

池上君は高校大会でも竜王戦3位、選手権2位という好成績を収めているが、東京の大会で高校日本一経験者を破っており、全国でもトップクラスの高校生棋士と言えるほどの実力者であった。更に朝日アマ名人戦でも、敗れたものの代表決定戦まで進み、奥村明先生と大激戦を展開したという。

彼の強さの秘訣は、坂口謹一先生や長沢忠宏先生にミッチリ鍛え上げられた事と、宮下和也、大下慧香、奥村龍馬の各君といった、ハイレベルな同世代ライバルを数多く持った事が急成長につながったと思う。技術の高さは勿論だが、それ以上に芯の強さが半端ではないなという印象を残す男であった。

 藤牧君は当初塩尻支部の会員である。つまり池上君とは同門の兄弟弟子という事になる。しかしもっと強くなる事を望み、松本道場の門まで叩いた。小学生時代は、山口哲也君の影に隠れがちな存在であったが、土曜の塩尻支部のみならず、松本道場での平日通いを継続する事で少しずつ着々と力をつけていく。私が知る限り、塩尻支部と松本道場支部の2つの道場通いを、これほどまでに長く続けた学生は彼しか知らない。

 得意戦法一本でベテラン高段者のカベに何度も跳ね返された時は戦法を代えてみたらどうかと忠告されたようであるが、それでも頑として自分のスタイルに拘り続け、ついには互角以上に戦えるまでに磨き上げたのは大したものだと思う。正に「継続は力なり」である。

 小学5年生の時に二段戦を制し、万年ベスト4状態だった小学生大会でも6年の倉敷戦で準優勝を果たす。特筆するべきは昨年の赤旗名人戦で、中学1年生ながら準決勝にまで勝ち残る。県選手権ではB級で惜しくも決勝で敗れ三段免状を逃したが、一歩一歩着実に実力を上げてきている事は間違いはなかった。

 嶺山君が松本道場支部の門を叩いたのは彼が小学4年生の頃だったと思う。年齢的には池上君の3年後輩で藤牧君の4年先輩である。そして私や池上君と同じく長野に冠たる(???)安曇野市民だ。この2人と違って塩尻支部では、まず見ない顔であったが、内川先生の指導の下、松本道場支部期待のホープとなる。

 小学生大会では(県選手権小中学生の部も含めて)確か準優勝が3,4回あったと思う。中学生大会では1,2年時こそ県大会1回戦で長野の強豪霜村純君に連敗したが、3年の時に中信同士の決勝にて塩尻支部の沖津駿介君に逆転勝ちして悲願の優勝を達成する。この中学生時代に支部対抗戦にて松本道場支部の2大エースの組に副将に大抜擢され準優勝を果たしている。決勝で岡谷道場支部に惜敗したが1-1で残された朝日アマ県代表経験者との、あわや200手に達しようかという大激闘を展開。数多くの観戦者の目を釘付けにした。

 そして高校大会では恐るべき強さを発揮する。勉学と運動部との兼部の為、選手権団体の部と新人戦しか出場しなかったが30戦近い県予選公式対局での勝率は、何と10割(!)この時の高校生強豪と言えば林泰臣、霜村純、倉沢周作、冨田慶二郎ら各君がひしめいていたのだが、ことごとく打ち負かしてしまう。全国でも団体戦ベスト8、新人戦ベスト16という活躍ぶりであった。

 真面目で素直な性格で学習能力も高いなというのが私の印象である。また老若問わず多くの人達がが彼との対局を熱望していたものである。それと将棋だけでなく、あるスポーツを習い始めたが、時期と言い種目と言い私と全く同じものを将棋と共に習い始める。以来嶺山君は高校まで、それを継続させながら3年時に将棋部の部長に就任したが、これもかつて私が歩んだ道である。ここまで私と同じとはと思うと、数奇な運命を感じざるを得ないのである。

wadaiko.gif第3章 守 破 離

 次にこの3人の、それまでの団体戦での戦いぶりを振り返る。

 藤牧君の場合は、支部対抗戦や道場対抗戦において小中学生チームとして戦っていた。特に支部対抗戦では、確か沖津駿介君と山口哲也君とのトリオで3年連続で出場している。若手達に経験を積ませようと言う意味合いで組まれたトリオであった。結局チームとして勝利を味わう事は無かったが、優勝候補の軽井沢支部や大北支部相手に1-2の接戦を展開した。

 中学生時には、昨年の道場対抗戦予選では、内川新一先生と古畑僚君(現・岡谷南高1年)と組み優勝するが、正直な話、このチームを結成させた我が師匠内川先生の判断に私は唸らされた。それまでの内川先生の戦いぶりはといえば子供といっても級位者・初心者と組む事が殆どで、有望株と言われた子供は他の高段者に預ける事が多かった。この時みたいに強い子供を2人抱き込んで本気で優勝を狙ったケースは私が知る限り初めてだ。自らの手で優勝争いの緊張ある戦いや全国大会の高いレベルを経験させて修行を積ませようとしたのである。その御眼鏡にかかった事に、2人に対する、特に藤牧君の対する期待の大きさを感じさせるエピソードであった。

 3人の中で団体戦で大きく株を上げたのはというイメージが強いのは嶺山君だと私は思っている。実績を上げてみると、中学1年時には私・丸山佳洋と山内拓也君(嶺山君の親友であり、現・松本深志3年)の塩尻支部勢との混成トリオを結成して道場対抗戦で準優勝。3年の時に優勝。高校時代には選手権団体の部では2年時に松本深志を9年振りのベスト8(9年前は全国3位!)に導き支部対抗戦でも昨年ベスト4、一昨年の東急団体戦でも準優勝に貢献している。

 塩尻・松本道場混成トリオの結成は私の意思によって出来たものであったが、これはただ2人が大の仲良しだからというだけで誘ったわけではない。後に藤牧君等を引き入れた内川先生同様、この2人の中学生と組めば優勝出来ると思っての勧誘であった。このように彼の場合は色んな方面から誘われ、そして優勝請負人的な活躍を見せるのであった。

 その最もたる例が昨年の高校選手権団体の部であった。この大会は高校総体予選と重なり、運動部と兼部している多くの選手が、そちらへ流れていった。当時2年だった嶺山君も、総体出場を優先するのではと私は予想していた。実際彼も相当迷っていたのではと思うのだが・・・しかし彼は将棋大会出場を選択する。そして松本深志は初戦から長野、野沢北、岩村田と難敵続きの組み合わせだったにも関らず。快進撃を見せて優勝する。松本深志にしてみれば全国出場自体、5年振りであったが、彼が出場を決めた事が深志の士気を私の想像以上に高めたのではと思う。深志部員が彼を救世主と呼ぶようになったのも、分るような気がする。

 池上君の戦いぶりは、この2人とは実に対照的であった。嶺山・藤牧の2君の場合は大人達(或いは先輩達)の意思で団体戦に臨んでいたが、彼の場合は自分で捜し、誘う事のケースが殆どであった。中学生時代、松本開催の道場対抗戦では奥村龍馬君を勧誘、誘う池上君も凄いが快諾した奥村君も大したものであるが、正に池上君と奥村君の強い決断力と実行力の高さと絆の深さを物語るに充分な出来事である。彼は未だ学生の身でありながら、他にも多くの厳しい選択を、自らの意思で決断・実行しているが、それについてはここでは触れない。ただ彼は、後に大舞台にも大きな影響を及ぼす選択を自らに架す。それが本題の大会なのである。

dasi.gif第4章 松本道場支部の歩み

 松本道場支部は、少なくても平成に入ってからは最多の優勝回数を誇っている。高段者の層が非常に厚いのである。ライバルの岡谷道場支部、軽井沢支部、小諸支部、善光寺平支部等の最強トリオとて実力的に遜色などある筈もないのだが、松本道場支部は、これらの強豪支部を次々に撃破して優勝回数を重ねていった。(小諸支部などは2年連続決勝進出を果しながら、いずれも松本道場支部の前に、あと一歩の所で涙を飲んでいる)

私も平成元年に道場通いを始めて以来、長い間松本道場支部で団体戦を戦い、2位と3位を1度ずつ経験しているが、先輩達の援護射撃で上まで行かせてもらったという印象しかない。因みに私のチームが準優勝したのは10年前であり松本道場支部同士の決勝戦が実現した年であった。

そんな中、内川支部長は若手棋士を強豪チームに編入させ、いつかは若い力によって松本道場支部の優勝を目標に置いていた。先ずその御眼鏡に叶い優勝狙いのチームに抜擢されたのが嶺山君であった。それに結果については、その2で述べた通りだが、05年の大会でも高段者チームに編入されベスト4に進出している。そしてその間にも藤牧君の急成長しているのを見るにつれ、内川支部長も学生中心のチームによる松本道場支部の優勝をという色気を見せたのも自然な流れではないだろうか?

utiwa.gif第5章 塩尻支部、敬愛される支部長

平成に入って10年程まで8割方の確率で決勝進出を果し半分以上の優勝回数を誇った松本道場支部も、ここ四年間優勝から遠ざかっていた。その古豪支部復活を学生棋士に託した松本道場支部に対し、平成10年代にもう一つの中信の雄が台頭する。それが塩尻支部である。

この塩尻支部が初優勝を成し遂げたが03年であった。関東で腕を磨いている2人の現役強豪大学生に私・丸山佳洋を加えたトリオでの事であった。偶然か必然か?大学時代を関東や関西で過ごした為、レベルの高い棋戦で揉まれに揉まれたアマ棋士が多いのが、この支部の特徴か?加えて長野だけでなく他県でも頂点に立った事のある先生が師範を務めていた為、地道ながら着実に支部会員全体の棋力が上がってきていた。

この初優勝の時も大将が5戦全勝、三将も1敗のみといった具合に、2人の大学生強豪棋士が勝ちまくった。一緒に組んでいて塩尻支部の強さと共に関東で鍛えられた逞しさが見事にミックスされているなと感じたものであった。塩尻支部はベスト4進出自体、この大会が初めてだったと思うが、これがキッカケになったのか?翌年も準優勝。以後優勝戦線を大いに盛り上げる存在になっていく。

「支部長を東京に連れて行こう」これが塩尻支部の合言葉なのであるが、これが案外強力なカンフル剤なのである。私もこの言葉を聞かされて士気が大いに鼓舞されて優勝させて貰ったようなものである。そしてそれは、やがて「塩尻支部を日本一にしよう」という目標に昇華されていく(最も支部対抗戦は東日本大会までであるが)

そんな盛り上がりを見せる中、この大会に大きな影響を及ぼす決断が両支部に生じたのである。またそれは、私自身も少なからず関りを持っていた。

ougi.gif第6章 心をいくつにも分かち勝負に臨む

大会まで一月余りとなると、各支部ともチーム作りに慌しくなる。私も3年前から塩尻支部のチーム編成を担当するようになってからは電話やメール、更に掲示板を通してセッカチな行動の日々を過ごしている。ノルマは5チームだとか塩尻支部同士の決勝戦を実現させようとか色々な注文に応える様、私なりに頑張っているつもりであるが・・・

松本道場支部は例年選手の選考とトレーニングを目的に大会二週間前位から独自に予選を開いている。基本的には、その予選リーグの結果を見て出場選手を選定するというスタンスを取っているが、私が嶺山君と藤牧君を組ませるというプランがあると知ったのは、その大分前(多分前年12月だったかな?)だった。だが正直言って驚きは無かった。内川支部長も、この2人の合体すれば面白くなりそうだというふうに大きな期待と興味が沸いたに違いない。船坂徹先生を大将に仰いだものの、学生主体のこのチームは充分に優勝を狙える強力トリオであったと言えよう。

内川支部長も嶺山君の高校大会での活躍(団体で全国ベスト4、県新人戦V2)及び藤牧君の赤旗ベスト4入りは知っていた筈だ。何故なら、その情報を内川支部長の耳に入れたのは、この私なのだ。私が何の意図を持って、そのような事をしたのかは視聴者の想像に任したい。一つ言えるのは、ここでは「将棋赤軍の総統・丸山」の色を私なりに出したつもりであるということだ。

一方塩尻支部でも私にとって予期せぬ事態が生じた。池上君が新井浩実先生に連絡を取り、一緒に組もうと打診、新井先生が快諾したのであった。てっきり池上君は東京の支部のオファーを受けて東京予選から出場するものと思っていたからだ。どこから誘われていたのかは定かではないが、東京はおろか東日本大会でも大活躍が期待されるメンバーで戦えた筈なのにというのが私の考えなのだが・・・ともあれ彼は(どんな理由や事情があったにせよ)敢えて好条件を蹴って自分を育てた地元道場支部での優勝を目指す事を選択したのであった(まるで広島カープの黒田博樹選手みたいな話だ)

そして3人目の選択は私に委ねられたが、結局私は有田勝先生にお願いした。実は塩尻支部には、馬場支部長や新井&池上君を含めて松商出身の会員が私が知る限りでも6名いる。有田先生は、そのリーダー格といえる人であるが、ただ松商のリーダーで将棋が強いという理由だけで有田先生にお願いしたわけではないつもりだ(私にそう言わせるほどに塩尻支部は選手層が厚いのだ)闘争心を前面に押し出す有田先生の指しっぷりが2人の相性と必ず上手くマッチする。これが「塩尻支部のチーム編成係・丸山」の判断であった。

だが何のかんの考えても、結局私自身が一番優勝したいし、最悪でも塩尻支部同士の決勝戦を我が手で実現させたい。そう思う余り私は松本仁志、柏原哲也の両君を強引に引き入れ自身2度目の優勝、あわよくば東日本制覇を目論んだ。このチームは、自分が甘い汁を吸いたいが為の「一選手・丸山」の選択によって結成された部分もあったといえる。ただ嶺山君と藤牧君の合体が魅力的であろうと池上君の意気込みが半端でなかろうと、私と交戦した時は容赦無く叩き潰してやると心に誓っていた。

自分の身体に幾つもの心を忍ばせ、ぶつけ合わせながら戦いに臨むのは変な気分だなと思いつつ、私は大会に向けて調整していった。そしていよいよ大会当日を迎えたのであった。

dasi.gif第7章 激・突

この年から一発トーナメント戦に代って予選リーグ~決勝トーナメントで争われる事になった支部対抗戦。初戦の相手は塩尻支部が軽井沢支部、松本道場支部が岡谷道場支部と激突する事になった。

実はこの組み合わせ、奇しくも前年準決勝と同一カードとなった。この時は塩尻支部も松本道場支部も両方敗れている。ことに松本道場支部は0-3で敗れているだけに、その時のメンバーだった船坂、嶺山両選手にとっては意地でも負けられない雪辱戦であったが、結果は意外なものとなる。何と前年3タテを喰らった相手に逆に3タテを喰らわせて松本道場支部が完勝する。岡谷道場支部は前年準優勝時と全く同じメンバーで臨んだが、藤牧君が信州王将経験者の強豪20代棋士を打ち破り、更に嶺山君もベテラン長老棋士を粉砕して優勝候補を圧倒したのであった。

塩尻支部も前年優勝メンバー主体の軽井沢支部に、苦戦の連続ながら3-0のスコアで初戦突破を果たす。池上君は大熱戦を気力で乗り切り、その成長ぶりを見せ付けた。

ここから両支部の快進撃が始まり、準決勝は中信勢が独占する。この内3チームが松本道場支部から輩出され、残る1つは松商OBで固めた塩尻支部が勝ち上がっていた。当然一方のヤマは松本道場支部同士の対決となったが、ベテラン高段者で固めた強力トリオを嶺山、藤牧両君の活躍で競り勝った。

結局4連勝で決勝進出したわけであるが、嶺山、藤牧両君は、ここまで全勝と言う大活躍ぶりで、松本道場支部4年振りの決勝進出の原動力となった。今まではベテラン棋士の経験値の強さで何度も優勝を飾ってきた松本道場支部が若い力で勝ち上がる光景に新しい風を感じた。

もう一方は塩尻支部が2年振り3度目の決勝進出を果す。こちらの勝ちっぷりもまた凄まじく、何と四戦全てストレート勝ちという快進撃であった。こうして大会史上初の塩尻支部と松本道場支部による決勝戦が実現したのである。

happi.gif第8章 パーフェクトの前に敗れる・・・・

塩尻支部と松本道場支部による決勝戦は3局とも熱戦となったが、「学生団体戦名勝負集」と銘打った以上、ここでは学生同士の対決となった池上VS藤牧戦をメインに置いて振り返りたい。

その1で触れた通りこの2人、塩尻支部門下の兄弟弟子として、師範による多面指しで横に並んで教わったり、池上君が強くなって他面指しを務める様になってからは藤牧君も彼の胸を借りて稽古をつけてもらった事もあった筈である。

私から見て、特に親しい間柄とは思えなかった。無理に共通点を挙げるとすれば、向上心の高さ故に、早い内から質の高い「出稽古」を重ねた事ぐらいか?ともあれ、その2人が数年の時を経て決勝戦を戦おうとしている(しかも団体戦で。その上共にチームを引っ張る原動力として)小学生時代から彼等を見ている私としては感慨深い思いであった。

結果の方は池上君が先輩の貫禄を示す形となった。急速に台頭してきた下の世代の強豪が相手とあって、池上君にも相当プレッシャーを感じながら戦ったようであったが、将棋の内容は流石だなと感じさせられた。塩尻支部は、その他の選手も勝利を飾り、5試合すべて3-0というパーフェクト優勝という快挙を成し遂げるのであった。これは何年振りなのか定かではないが、平成に入ってからは恐らく初めてである。

そして塩尻支部は東日本大会で大暴れする。同大会の最高成績はベスト4(私が知る限りでも松本道場支部が1回、岡谷道場支部が2回)だったが、それを更新する準優勝という好成績を残した。なかでも池上君が勝ちまくる。県予選から通算して11勝1敗(!)文字通り塩尻支部大躍進の牽引車となる大活躍であった。

maturi.gif第9章 牽引と統率と

こうして支部対抗戦は、塩尻支部が長野県最高成績を更新して幕を閉じた。県大会をパーフェクトで優勝に加えて東日本大会での快進撃(決勝も紙一重の際どい戦いだったようだ)塩尻支部の3人の個々の実力と結束力の固さは強力の一語に尽きる。また棋風の方も強気を全面に出す感じの選手が揃った事でチーム内の波長が上手く合致して高い相乗効果をもたらしたのかもしれない。

3人の中で1番若い池上君の決断から全てが始まり、彼が力強くチームを引っ張って上位入賞を果したと言っても私は言い過ぎとは思わない。そしてその後彼は中央大学部長として母校をA級復帰に導き、統率力の強さまで発揮したのである。将棋だけでなく人間としてもどこまで成長するのか、今後ますます楽しみな逸材である。

県決勝で力尽きたものの、共に4連勝を飾って松本道場支部復活の原動力となった嶺山&藤牧君の活躍も見事と言うしかない。彼等が顔を合せたのは多分、県大会当日が初めてだったかもしれない。正に即席チーム(失礼!)の印象が強かったが、そこは将棋が縁で繋がっただけあって、あっという間に仲良しになっていたようだ。

チーム結成に関しては彼等に強い意思や要望があったとは思えないが、逆に言えば松本道場支部の期待に応えた形となり、これも立派な戦いっぷりであった。来年再結成されるかどうかは微妙だが(嶺山君が大学受験を控えている。この為に、これ以降一切大会に出場していない)是非とも再結成を実現させて優勝を目指してもらいたいものである。

「2つの準優勝」に盛り上がった06年の支部対抗戦及び学生棋界。だが今後も激しい勝負が繰り広げられる事になる。果たして今後は、どんな展開が待ち受けているのであろうか?

(完)

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