高校将棋名勝負 2004年高校選手権団体戦

MSG総統・著

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今回は3年前の高校選手権男子団体決勝戦の戦いをメーンに振り返りたいと思います。松本市のMウィングで開催された高校選手権長野県予選は野沢北・伊那北・松本深志が激しい三つ巴の戦いを繰り広げたのが2004年であった。

野沢北が大本命と目された長野を破り感激の初優勝を飾ってから5年。この間優勝こそなかったものの着々と選手層を厚くさせつつあったようで、この前年の新人戦では野沢北から初の準優勝者が誕生させた。この全国大会を経験した選手を軸として久々の優勝を狙う野沢北であった。

伊那北は前年の準優勝校。その時あと一歩の所で優勝を逃がした先輩達の無念を晴らすべく今回は1年の頃からエース格で前年の高校竜王にもなった選手が満を持して団体戦に初挑戦。この高校竜王をエースに立て前年同様3年生最強トリオで覇権奪取を目論んだ。

また松本深志の動向が実に不気味であった。現有精力に加えて強豪1年生が2人入部。1人は前年の中学生名人であり、もう1人は、その親友。実力も拮抗したライバルでもあった。この2人の1年生部員の配置次第では団体戦の勢力分布が急変するだけに、深志の動きが注目されていた。

今回のテーマは「選手の配置」と「エースの重圧」としておきたい。そして結末は余りにも悲劇的なものであったということも前以て予告しておく

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団体戦に臨むに当ってまず最初の仕事はメンバーの順番である。2チーム出場させる場合は、まず選手をどちらに振り分けるかという問題が加わる。

チームを2つ以上作る場合は次のパターンが考えられる。
①1チームは必ず最強のトリオを結成させる。
②エース格を別に分けて戦力の均等化を図る。
③前以って参加希望者によるリーグ戦を行い、その結果でメンバーを決める。
④学年によってメンバーを振り分ける。
大まかに挙げれば、ざっとこんなところであろう。

①については、優勝を狙うチームにとっては当然の方法かと思う。さして仲の良くない者同士が、高い目標を目指して結果を出す事によって団結力を強めるという面白さも秘めている。

②については戦力層の厚い所がやりそうな手法であるが、1人でも多くの選手に優勝を意識させる。つまり勝つだけでなくチームワークの素晴らしさを持って皆で楽しんでもらおうとのいう意味合いがある。勝利至上主義的な①と異質な素晴らしさがあり、人によっては①以上に親しまれる方策ではないだろうか?

③は、①と②を合わせ持った方策かと思う。過去の実績に囚われず今の実力と調子によってチーム編成するのである。チーム編成の方針が①にしろ②にしろ現時点の実力で決めてしまおうというわけである。高校の団体戦でも、この方法を採用する所があるようだ。

④は長野県の高校大会で顕著に見られる光景だ。最強メンバーといっても完全に上位3人を揃えるわけでなく最上級生たる3年生によるトリオ編成である。事実伊那北が本題の前年に、これを実践している。高校最後の大会である事と下級生に対する意地もあるのであろう。ある意味②に近い考えだ。

勿論①のような編成もあるわけで本題の翌年以降の優勝校(松本深志、長野南、飯田)は下級生を交えたトリオによって優勝を成し遂げている。これは現在も継続中である。更に前年を見ると、松本深志、上田、伊那北が2年生を交えて優勝している。特に02年の上田と長野南は3年生ナシで優勝を果たしているのであった(但し03年の上田は全員3年生であった。最も前年の優勝メンバーが、そっくりそのまま残っていたのだが。)やはり①に徹した方か優勝の確率が高いという事が、このような数字で表れるのであろう。

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次に順番の決め方である。これまた色々なパターンが考えられるのだが、一番の問題はエースをどのポジションに据えるのかであろう。現実的に考えられるのは①大将に置く②副将に置く、このいずれかであろう。③三将に置くという策もあるが、私自身は、少なくとも高校の大会では見受けられない。

①エースを大将に置く、というのは最も普通かと思う。一番強い者が大将を務める。自然な事かと思う。また自校の面目だけでなく他校選手へのライバル意識の強さもまた、自他共に認めるエース選手を大将にという思いに駆り立てる。正々堂々というべきかどうか分らないが、あくまでエース同士の真向勝負で決着をつけようという姿勢である。当然ながら本題の大会も例外でなく、いやむしろ多くのチームで見る事になる。

②エースを副将に置く、というのは①以上に勝ちへの拘りが強く、エースに対する絶対的な信頼を寄せていればこそ実行出来る策である。何故なら大将で戦う以上にポイントゲッターとしての活躍が期待され、その重圧が気持ちを受け身にさせ、本来の実力が発揮し難い精神状態に追い込まれ易いからである。勝利への意識が高い分、優勝を狙うチームが、この手法を採るケースが多い。

このケースが実現するのはエースが部長にメンバー編成を委ねた場合であろう。体育会系と違い、高校将棋は顧問・監督が余り口を出さない分、部員達が自主的に決めて部長が最終決定を下すというケースが圧倒的に多いと思う。長野県もまた例外ではないようだ。その分部員達の意見を尊重しようという意識が強い。

例えば部長が②の策、つまりエースを副将に据えたいと思っても採りたくてもエースが(ライバルと思っている選手と戦ってみたいといった理由で)大将で戦いたいと主張すれば、私に言わせればそれまでである。選手の希望やプライドを曲げて出場させても良い将棋が期待できず、それがチームの士気の低下を招く危険があるからだ。ただし己を殺してまでチームの勝利を優先させるという言わば職人気質に徹する事が出来るならば②の策は有効な作戦といえるのではないだろうか?

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もう1つの考えられるケースとしては飛び抜けて強い選手が個人戦に回るというのがある。団体に出るより個人に出た方が好成績が望める場合に、このケースの実現が考えられる。個人戦に回ると決めた選手は、早い内にハッキリとその意思を伝える事が肝要である事は言うまでもない。

さていよいよ大会当日に話を向けたい。この年の大会は全国出場経験者の9割方が団体戦に回り、その中でも優勝候補校在学の選手は全て大将を務める事になった。2人の1年生強豪を迎えた松本深志が、どんなチームを編成するのか注目されたが、1人は大将を務めたが、もう1人は個人戦に回った。私の本音を言わせてもらうなら、ちょっと勿体無く感じた。もしもこの2人を同じチームに組み入れていれば、間違い無く松本深志は優勝していたと私は思っていたからだ。

しかし、私なりに見方を変えて考えれば止むを得ない点も深志にはあった。この年も2チーム出場させた深志ではあるが、入部した1年生部員が、この2名しかおらず、いざ組ませるとなると1人上級生を入れなくてはならない。実はこれこそが深志にとって最大のネックになったのではないだろうか?

だったら入れれば良いじゃないか、丸山も丸山で一体何を言ってるんだと言いたくなる人もいるであろうが、なかなかそうは行かないのだ。今となっては、分けた理由は不明なので想像するしかないが、恐らく「伝統校の、そして上級生のプライド」ではないだろうか?

10回を超える優勝回数を誇る深志も、当時は3年間優勝から遠ざかっていた。こういう状況に置かれている場合は、自分達の手でと考え、1年生部員に頼りたくないと思うものである。それは意地やメンツだけでなく、強気な姿勢を持って先輩として手本を示す為でもあると思う。

1年生トリオで01年の準優勝校となった上田は、言い方を変えれば1年生だけで3人組めたから組めたに過ぎないとも言える。更に先にも触れた部員達が自発的にメンバー編成を検討するという土壌が先輩部員のプライドを優先させた格好になったのではないだろうか?

ともあれ様々な思惑が交錯しながら白熱した熱戦が繰り返された。そして深志は2チーム共に準決勝に進出して野沢北、伊那北と激突するのであった。

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準決勝2試合は共に白熱した展開となった。野沢北とは3年生で固めた松本深志チームを熱戦の末に退ける。私が来場したのは準決勝の途中からなので詳しい戦績を知っているわけではないが、組合せを見る限りでは新人戦で全国大会を経験した野沢北大将は全勝をキープしているのだなと思っていた。

それと同時に決勝戦は、どちらが来ても、今までとは各段に違う実力を持った選手を大将に据えているので、もしそれまでに苦戦というものを経験せずに勝ち上がって来たとしたら、楽に勝ってきた事が災いして難しい局面での思考回路に狂いが生じるのではないかと少し私は心配していた。いかなる勝負でも、微温湯は厄介な代物だ。

一方は伊那北が1年生エースを擁する深志チームと相対していた。前年の高校竜王と中学生名人の激突となった大将戦は相矢倉戦となり、深志大将の猛攻を伊那北大将が堅実に対応するという両者の持ち味が十二分に発揮された大熱戦となった。

相手の猛攻を凌いで王様の上部脱出に成功した伊那北大将は、そのまま入玉を果す。一方の深志大将も相手の駒不足に乗じて危なげなく入玉達成。駒数では深志大将が勝っていたが持ち時間は伊那北大将の方が多く残しており、しかも深志大将の持ち時間は1分を切っていた。

この試合は切れ負けなので「入玉宣言」をしようとした深志大将は、近くに審判がいないと見ると審判でもない私に持将棋をアピール。「まあ俺が一番近くにいたからな」と思いつつ私は審判を呼びよせ、その審判の採点の結果、深志大将の勝利となった。大将の敗北という痛手を背負った伊那北であるが、副将と三将が勝利を納め辛うじて深志を振り切り決勝進出を果した。

松本深志の2チームについては戦力が均等していたなというのが私の実感であった。この方策と結果を深志がどう受け入れたのかは読者の想像にお任せしたい。少なくとも優勝できなかったという理由でチーム編成を後悔したなどという事は無いと思うのだが・・・

伊那北大将にとって、この敗北と長期戦による疲労は決勝戦を前にして大きな重圧となったと思う。それでも大将として、またエースとしての責任感を奮い立たせて再び強敵相手の決勝戦に臨むのであった。そして決勝戦は1-1のまま大将戦に運命が委ねられた。

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1-1で迎えた全国経験者同士の大将戦で決着をつける形となった野沢北と伊那北の決勝戦。大会前からお互い意識し合っていたと思うのだが、実際決勝戦という、とてつもない大舞台で直接対決で交戦する事となり、実績のあるもの同士の決戦という事で注目度も高い事が、この大将戦のムードに一層の緊迫感を増していった。

事実試合内容も、最初こそ中央で激しい攻防が展開されたものの伊那北大将は自陣に馬を二枚引き付け、ゴキゲン中飛車を使った野沢北大将も竜を二枚作り、銀得ながら敵の堅陣に踏み込めす、もう1枚の竜を自陣に引き上げる。中盤は両者共に自陣に金銀を投入して固め合い、膠着状態の様相を呈してきた。

息苦しいまで消耗戦も再び中央での攻防によって均衡が破られる。そして打って出たのは伊那北大将であった。竜馬交換の後、桂馬のただ捨てから、と金と成銀で野沢北大将の玉に迫って来た。これに対して野沢北大将は端歩を突いて王様の脱出を目論むかと思われた。だが予想に反して詰めろを掛けてきた。そして運命の瞬間を迎える。その1で予告した悲劇の一手が指されたのは、この直後であった。

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伊那北大将が指した次の一手は飛車による王手だった。打った場所は味方の成銀の真後ろ、そして相手陣の二段目に位置していた敵の王様の真横であった。将棋の格言に「大駒は離して打て」という言葉があるが成銀にヒモをつけるために格言に反したこの王手が己のみならず伊那北を奈落の底に突き落とす痛恨の敗着となった。

そう、飛車の打ち場所さえ間違えなければ野沢北大将の王様は詰んでいた。離して打てば成銀こそ取られるが、その瞬間頭金で詰み。最長7手詰みで上部へ逃げたら早詰みという、相手にしてみれば何とも切ない詰みである。普段の伊那北大将ならば絶対に逃さない詰め手順であったのだが・・・

本譜は野沢北大将の王様が上部脱出に成功した後、竜切りから一気に逆襲に転じたが、最早伊那北大将の守備駒に、それを押し止める力は無く132手にて投了する。これによって野沢北は平成2度目の団体優勝を飾り、これを機に女子と共に団体名門校の仲間入りを果す事になる。正に長野県の高校棋界を変える奇跡の大逆転劇であった。目の前の敵だけでなく自分との勝負にも勝った野沢北大将・菊地俊彰君には大きな拍手を送りたいと思う。

伊那北大将には、この敗北のショックは余りにも大き過ぎた。エースとしての重圧、主将としての責任の重さに加えて準決勝に続く長手順の大接戦による疲労の蓄積。更にその準決勝での敗戦が決勝戦にて微妙に歯車を狂わせた。加えて、これは私の憶測となるが終盤相手が危険極まりない筈の王様の逃げ道を作らずに詰めろを掛けたのを見て、相手の力量を信じて詰みナシと思ったのでは無いだろうか?

伊那北大将は感想戦が終わっても、長い間イスに座り込んだまま放心状態であった。それを廊下で列を組んで並び待っている伊那北部員の姿を含めて痛々しい。団体戦ならではといえばそれまでであるが、それにしても切ない光景であった。

確かに勝たなければいけない勝負を負けたかもしれないが、人間は誰でもミスを犯すし長い人生の中では必ずどこかで、こういう失敗を経験する。言わばいずれは訪れる試練と言い換えても良いと思う。要は、この失敗を薬として今後にどう生かすかであると思う。2年連続で準優勝に甘んじた伊那北であるが、その後の高校竜王戦では、この準優勝メンバーが快進撃を果した事を最後に付け加えて、今回の連載を終わらせようと思う。

(完)

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