学生団体戦名勝負集・伊那小学校の大躍進(2007年・文部科学大臣杯)

著・MSG総統

(2007年10月)


  icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif今回は今年の名勝負を振り返りたいと思います。余り大会での戦いぶりを見たわけではないでですが、優勝メンバーの御家族の御協力を得ながら何とか書き綴ってみます。

2007年の長野県棋界は3人の豆棋士の大活躍で大いに盛り上がった。彼等の名は弓田潤、白井貴浩、原悠一郎君の3人である。この3人が全国大会で堂々3位に入賞した舞台となったのが「文部科学大臣杯小中学生団体戦」であった。

これに匹敵する話題があるとすれは高校選手権で野沢北が女子団体戦で準優勝を達成した事のみと言って良い。今年の長野県は女性と子供の大活躍が目立ったが、野沢北高校と共にその象徴となったのが伊那小学校である。

この3人衆を簡単に紹介する。弓田君は、この年の小学生大会で公文杯、倉敷戦共に優勝を果たし藤居賢、山口哲也の2君に続く長野県の小学生2冠王に君臨していた。白井君も良く活躍して通算2度の準優勝を飾っている。この2人は学校でも将棋部の正副部長として将棋クラブを支えるなど、将棋に対して並々ならぬ情熱を注いでいた。その将棋クラブには10人ほどのクラブ員がいるという。

小学生大会では何度も決勝まで勝ち上がった2人だけに団体戦での活躍が期待されていたのだが、3人目をどうするのかが大きな課題であった。結局両君が白羽の矢を立てたのが原君であったが、その原君を引き入れるまでの過程は、ちょっと意外なものであった。
 icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif実を言うと、この原君は支部通いどころか学校のクラブにすら在籍していない。むしろ運動部の方に精力を注いでいた。当時の彼自身も、まさか将棋で大勝負の舞台に立つ事になろうとは夢にも思っていなかったに違いない。

伊那小学校で将棋が流行り出した際に彼も将棋に接してみたそうであるが、この時白井君と弓田君の目に止まったそうである。原君のやる気と素質に期待をかけた弓田&白井君は、クラブ員でもない原君を説得し3人目のメンバーとして彼を加入させた。彼もまた2人の熱意に応えるかのごとく上伊那支部に入会する。

こうして伊那北の小さき三銃士が揃い踏みを果した。この3人、クラスは全く別々である。クラブ外からスカウトした事を含めて運命的な出会いだったと言えるのではないだろうか?
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gifいざ揃った伊那小三人衆は、目標に向って始動する。その手始めは支部対抗戦への参戦であった。

彼等の入った予選ブロックは鬼ブロックであった。塩尻支部、松本道場支部、軽井沢支部という優勝経験を持つ強豪支部の、それも最強メンバーが結集したトリオがひしめくブロックに編入された。いずれも優勝経験を持った選手を擁しており、厳しいながらも実戦トレーニングには最高の土壌だったといえた。

この大会では大将に白井君、副将に弓田君、三将に原君という順番で臨んだ。チームとしての成績は不振だったものの小山源樹君を抜擢してきた軽井沢支部戦では(初戦では小山君の勝利がモノを言って塩尻支部を粉砕していた)弓田君が小山君との戦いを制し、白井君が平沢孝先生に敗れたものの最後まで食い下がり紙一重の勝負だった。収穫も課題も多々あったようで彼等にとっては有意義な大会参加であったと思う。

話はそれるが、この年の上半期は飯田勢の団体戦での活躍が目立った。この支部対抗戦では飯田支部今村雄三、湯田詔八、宮崎義則の3氏のトリオで平成初の優勝を飾り、5月の高校選手権では、飯田高校が豊口哲也、久保田昭、本田雅希の3君の活躍で、これまた平成初優勝を果している。

ベテランの頑張りが光った飯田支部、エースの豊口君が力強く2人の2年生を引っ張り岩村田、松本深志、野沢北といった団体強豪校を連破した飯田高校と、特徴はそれぞれ違えど、共に力強い団結力を見せ付けた飯田市民のパワーは、今年の長野県の団体戦を大いに盛り上げた。

話を元に戻す。彼等が積極的な姿勢を見せる最中、今度は都市対抗戦の予選が近づいていた。伊那市に出場の意思はなく伊那小の3人も、この大会には無関心か知らなかったかのどちらかのようだった。だが意外な方向から弓田君と白井君にオファーがかかってきた。これが誘う方にも誘った方にも、これ以降に大きな影響をもたらす事になる。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif東日本都市対抗戦は7人一組の団体戦であり、①同一市町村に在住・在学・在学者を最低4人揃える。②チーム構成は成人2人、60歳以上、女性、高校生を1名ずつ、小中学生2人とする。(但し小中学生2人の内、1人は必ず小学生を入れる事)とまあこんな感じで、どの大会よりも特徴的な大会といえる。

この年で3回目となる大会にて長野県予選に参加したチームは松本市から2チーム、安曇野市、塩尻市、佐久市、上田市の合せて6チームであった。この状況では伊那小3人衆の出る幕は無いと考えるのが普通なのだが、皆の予想に反して弓田、白井の両君が、この大会に登場してきた。

仕掛け人は、この私・丸山佳洋であった。塩尻市と松本市の2チームを塩尻支部会員と豊科高校の関係者が主体となっていたが、この中の松本市の2チームに彼等を編入しようと考えていた。大会ルールでは3人まで助っ人が認められている。このルールを利用して白井君と弓田君を招こうと思ったのであった。

早い話が「青田買い」である。私立の学校が良くやる優勝目的の為の他の地区から優秀な選手の勧誘。正直言って都市対抗戦の理念に逆行するのでは?そんな気持ちが何度も脳裏を過ったが、あれだけの選手達を遊ばせる方が、もっとナンセンスだと言い聞かせ、思い切って2人を誘ったのであった。

2人だけでなく家族の方々まで、私の思った以上に強い参加の意欲を示してくれた事に私は深い喜びを感じた。小学生団体戦に高い目標を持つ弓田君と白井君にとっては渡りに船だったのかもしれない(他のチームにとっては寝耳に水だった?)

伊那市に出場の意思が有れば、例え先約と言えども松本市への編入を断念しなければならない所だったが(何故かって?都市対抗戦とは、そういうものであるからだ!)伊那市の参加がなかったので、スンナリ松本市チームに編入された。

小学生には彼等の他に熊谷慧、小山源樹の両君という強豪が待ち受けていたせいもあって全勝者ゼロという激烈な戦いとなったが、この大会は白井君の活躍がモノを言って彼の所属する松本市チームが初優勝を成し遂げた。それだけでなく、この2人と、更に原君は、塩尻支部会員とも親密な間柄となり、この大会以降、塩尻支部の道場に頻繁に顔を出す事になる。ここまでになるとは、流石に私では予想できなかった。

彼等を見ていると同じ伊那市の若き強豪を思い出す。本題の2年前の長野県名人である宮下和也氏である。彼も小中学生時代には松本道場に良く顔を出していた。恐らくこの頃から、あちらこちらに遠征したのであろう。高校も東京の学校で入学、そこで1人暮らししながら将棋の勉強に励み、高校竜王戦東京代表を経て奨励会入会を果たした苦労人である。こちらは既に退会したものの、ハイレベルな技量と芯の強さは、今も尚、向上する一方であるようだ。

それはさておき、本番を目前に控え、彼等にとって少し問題になる状況が生じてきた。その5では私が伊那小学校に、どんな考えを持っていたのかを含めて予選の話を進めたいと思う。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif3回目を数える「文部科学大臣杯小中学生団体戦」前回までは小中学生5人で混成された都道府県別選抜チームの対抗形式で行なわれていたが、米長邦雄会長のツルの一声によって学校対抗方式に変更された。底辺の拡大を切に願っていたであろう米長会長ならではの決断だなと私は感じたものである。当初は性急と思われていたかもしれないが、参加校は小中学校合せて2700校までに及んだ。

また長野県では別の効果が現れた。多数の女の子の大会参加がそれである。最も長野県の場合は、小山まなみさんを軸とする「はは~ず」の草の根的な活動が最大要因と見ているのだが・・・

その大会も5月末にいよいよ1次予選を皮切りに本番を迎えた。だが伊那小にとって大きな問題が持ち上がった。原君の所属している運動部が臨む大会が丁度この日であった。その運動部でも大きな期待が寄せられていたであろう原君は、どちらを選ぶか大いに迷った筈である。その心境は、正しくハムレットそのものであったかもしれない。

運動部の大会と重なった場合、将棋よりも運動部を優先するケースの方が圧倒的に多い。現に本大会でも一旦将棋大会出場を決めたものの、この理由で出場自体を余儀なくされた学校もあった。それだけに原君の去就が注目されたのだが、彼は将棋大会への出場を選択した。言うまでも無いが、この決断は全国大会の行方に大きな影響を与える事になる。

運動部の大会を蹴って将棋の団体戦に出場して大活躍した最もたる例を私なりに挙げるなら本題の2年前の松本深志高校の団体優勝を思い出す。2人の3年生と共に出場した嶺山友秀君(当時2年)の事である。最多優勝を誇りながら4年間優勝から遠ざかっていた松本深志の復活は、大将を務めた嶺山君の全勝によってもたらされ、しかも全国ベスト8まで躍進した。

彼もまた運動部に所属しており(それも将棋部同様に団体戦の戦力として当てにされていた筈)高校総体と重なっているにも関わらず将棋選手権に出場を決意。名門古豪の救世主と言われる様になる。この嶺山君の役回りが今回の原君であった。

さて当時の私は伊那小をどう見ていたのか?正直言って弓田君と白井君の知識しかなく、原君が伊那小の学生である事も知らなかったし伊那小の将棋部の部員数も把握していなかった。こういう状況で私が考えた事は「伊那小将棋部の数によっては、白井君と弓田君の2人を分けて2チーム出場させるのでは?」であった。

結局そんな動きは無かったようであるが、顧問によっては弓田君と白井君以外にも全国大会に行けるチャンスを与えてやりたいという気持ちが働く人も多くいる筈だ。まあ私がもし伊那小の顧問だったら自主性に任せつつ原・白井・弓田の3君の合体を願ったろう。ただ強制してまでそれを実行出来たであろか?或いは部員全員の課題として皆で考えさせるよう仕向けたであろうか?今でも私はどうしたかものかと頭を悩ませている。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif5月から6月にまたがけて開催された文部科学大臣杯の県予選は、圧倒的な戦力を有する伊那小が破竹の勢いで勝ち進み長野代表の座をモノにした。否が応にも追われる立場のプレッシャーを背負いながらの戦いを強いられたが、それを力強く跳ね返した。大会終了後は高段の先生の胸を借り、会場が閉ってからは今年塩尻支部が村井公民館に開講した将棋教室で練習を重ね、東日本大会に備えるのであった。

ここで話はまた横に逸れる。「小中学生団体戦」と銘打っているだけに中学生の団体戦にも触れてみたい。私は中信予選から見ていたが、この中信予選は堀金中と木祖中が激しいデットヒートを展開、全勝同士の最終戦で決着をつける事になった。

堀金中は西中宏介君を中心とした松本道場支部会員主体の強力チーム。一方の木祖中は塩尻支部の名物イベント「石川・勝又教室」によって育まれ木曽にて勃興した信州最西勢力である。佐久長聖中の大将、山口哲也君とも親交が深い木祖中メンバーは、この大会に2校送り出し、内1チームは最強トリオを構成していた。流石の堀金中も苦戦を強いられたものの副将の逆転勝利と西中君がエース対決を制した事が決め手となって堀金中が2-1で木祖中を振り切り県大会進出を決めた。惜敗した木祖中であるが、その部員の9割方が2年生だけに来年以降に大きな期待がかかる。伊那3人衆とも交戦の可能性大だ。

県大会では堀金中と佐久長聖中が県代表の座をかけて、これまた全勝同士の最終戦を戦う事になり、特に大将戦の山口VS西中戦が大きなポイントと思えた。両校ともメンバー編成については、何の違和感もナシに、主将かつエース格であるこの両者を大将に据えた様だ。特に長野県でもトップクラスの山口君への西中君の対抗意識は相当に高かったに違いない。前年の中学選手権で敗れた借りを返すという目的を含め「山口君と戦って勝たなければ」という気持ちが強かった事は容易に察しがつく。エースとしての責任感とプライドが彼の闘志を掻き立てたといえるであろう。

この西中君の執念を力強く跳ね返しエースの重責を果たした山口君も立派であった。中学棋戦では未だ優勝経験の無く、最後のチャンスであったこの大会はチームのみならず彼自身も絶対に勝ちたい大会であった。こんな状況だったので、彼が大将になったのは、ただエースだからという理由だけでは無かったと私は想像している。私から見れば西中君の挑戦を受ける立場という感じなのだが、少なくとも今回は山口君の方が西中君に向って来ているように感じた(事実はどうだったのかは定かではないが)また大会前日に怪我をするという負担を背負いながら副将の重責を果した曲尾優一郎君の頑張りも見事であった。

この佐久長聖中と共に伊那小学校は、東日本大会という大勝負に臨むのであった。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif決戦に向け伊那小3人衆は中南信の道場通いを続けたり、家に集まって合同練習をしたりして本番に備えていた。そしていよいよ7月26日、東京スポーツ文化館に、その勇姿を現したのだが・・・

会場に姿を現した3選手は、何と3人共同じグリーンのTシャツを身に纏っていた。その上後ろには将棋盤の絵を挟んで「伊那小3棋士」という文字が記されていた。Tシャツというよりユニホームと言った方が適切か?「カッコ良い」とか「勇ましい」と声を掛けたくなるような3人の晴れ姿に彼等の意気込みが、ひしひしと伝わってくる。

原君にとっては初めての檜舞台。弓田、白井の2君は恐らく2度目の大舞台であるが、これほどまでに緊張した大会を経験した事はあるまい。正に一世一代、乾坤一擲の大勝負が今始まるのであった。大会形式は4ブロックに分け8校1組のリーグ3回戦で予選を行い、1位の学校を4校を選出。代表決定戦で東地区代表2校を決めるというものであった。

伊那小の順番は大将・原、副将・白井、三将・弓田の順であった。これは前日の対局の結果で決めたと言う。予選の方は北大和(神奈川)坂本(茨城)浦和ルーテル(埼玉)を破り3戦全勝で見事通過した。

大将の原君が健闘を見せたようで、初戦の勝利で弾みをつけると敗れたものの、相手チームのエース(弓田君も彼には分が悪いと言う)を相手に懸命に食い下がる頑張りを披露する。既にチームが2-0で勝利を確定しており人気もまばらであったが、対局は延々と続いていた。運動部で培われた根性が如何無く発揮された光景である。

代表決定戦は抽選の結果、幌西(北海道)と激突する事になった。この幌西小は今年の公文杯と倉敷戦の北海道代表を擁する強力チームで特に公文杯優勝者は、その大会で弓田君を破っていた。予選では後に女流プロに平手で勝利を納めた女の子を擁する長尾(群馬)との戦いを乗り切って勝ち上がってきた。

実はこの大会、この代表決定戦以降はメンバー変更が許されている。従って、どんなオーダーを組んで臨むのかも重大なポイントである。幌西小という強敵に加えて、この難題が伊那小の頭を悩ませる。そんな中、白井君の父(以後、白井父君と称す)が作戦会議に加わる。念入りに考えた末の決断は、私にとっては成る程とも意外とも取れるものであった。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gifVS幌西小戦に臨むに当って伊那小が組んだオーダーは大将白井、副将弓田、三将原という組み合わせであった。幌西小が予選時のオーダーを変えてくる事は無いであろうと予測しての大幅変更であった。

予選の幌西小のオーダーは次の通りである。
大将:倉敷王将戦北海道代表。
副将:公文杯北海道代表。その公文杯で弓田君を破っている。
三将:この大会の役一月後にJT小学生北海道大会にて低学年の部で準優勝している。

つまり白井・弓田両君が共に北海道チャンピョンと戦う図式となり、言わば長野県と北海道の頂上対決的な真向勝負を挑む形を選んだのであった。

宮本小(千葉)浜田小(青森)についての具体的な戦略については不明であるが、幌西小に関してはシッカリと方針を立てていたようで、対戦が決まった時は迷わず上記のオーダーを組んだようだ。

それにしても何故伊那小は、このような方策を採ったのだろう。注目すべきは大人を交えた作戦会議によって決められたという事である。特に弓田君が公文杯で敗れた相手とぶつかるように仕向けている事であろう。一体何故こうなったのか?

答えはもう察しがついたであろう。弓田君が公文杯の雪辱を望んだからである。彼の強い信念が伊那小陣営の心を動かし、更には恐らく白井君が「それなら自分は」という感じで大将を買って出た為に、正面激突を望む編成になったと考えられる。予想通り幌西小が不動のオーダー編成となり、伊那小にとっては厳しいながら願っても無い構図となって決戦の幕が開けた。

佐久長聖中を始めとして多くの観衆が見守る中、先勝したのは原君であった。開始わずか5分にして侮り難い北海道のホープを撃破した。弓田君の強気がチームに好影響を与えたが故の原君の勝利であった。残りの2戦は激戦となったようだが弓田君が見事雪辱を果したその瞬間、伊那小の全国大会進出が決まる。まるで劇画のような決着であった。最後は白井君が惜敗して「長野VS北海道」の決着自体は持ち越しと言わざるを得ない形となったが、長野県初の快挙をもたらしたという事は確かである「強気の連鎖反応」がもたらした貴重な勝利であった。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif全国大会(準決勝)進出を決めた伊那小チームは5日後の決戦に向けて、それぞれ調整していた。原、弓田の2君は松本市窪田空穂記念館にて例年行なわれている「石川・勝又教室」に参加。この2人の他に小林宏、横山泰明両プロ棋士が加わるという豪華な顔ぶれと多くの子供達のの参加によって大いに賑わったようだ。弓田、原両君も、あの緑のユニホーム姿で真剣にプロ棋士に向っていた。

もう1人の白井君は佐久長聖の主将山口君と共に東京に残留「東日本都市対抗戦」に長野県代表として出場。チームメイトには支部対抗戦東日本大会準優勝の立役者である新井浩実、池上俊輔の2氏に中信棋界の重鎮、田多井学先生、前年の高校選手権に準優勝した松本深志高校の二木拓也君に野沢北高校を女子部門の黄金時代に導いた高見沢聖子さんがいた。

ルールにより強豪小学生と真剣勝負の連戦を繰り広げた白井君にとっては、ある意味で「文部科学大臣杯」の前哨戦であった。加えて宿舎でも強豪の先生にタップリ稽古をつけてもらったようで、決戦に向けて鋭気を充分に養った事であろう。

この間、御家族の方々も子供達を支援する為に精力的に相手校の情報収集に当っていた。優勝を勝ち取るとなると①県選抜レベルの選手を揃え②2-1の勝利の積み重ねしか無い。というのが私の考えである。この前年の支部対抗戦での塩尻支部の準優勝は、その典型例だと思う。伊那小サイドは「情報戦」によって活路を見出そうとしたのである。

そしていよいよ決戦の時を迎えた。だが・・・思わぬアクシデントが伊那小を直撃した。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif伊那小を襲った突然のアクシデント。それは弓田君の体調悪化であった。39度近い高熱に頭痛・腹痛・悪寒等が容赦無く弓田君を苦しめる。いくら意思の強い子とはいえ、まだ小学生の彼には過酷と言う言葉では生ぬるい程の苦痛である。起き上がる事すらままならない筈なのだが、仲間に迷惑をかけるわけにはいかないと無理を押して強行出場した。それでも真夏にも関わらず朱色のカーディガンの着用を余儀なくされた姿が何とも居た堪れない。東京将棋会館のクーラーは、弓田君にとっては辛過ぎた。

私がもう一つ気になっていたのは白井君の心理状況であった。都市対抗戦では思い通りの内容を残せなかったと聞かされていたので、もし本当なら本番までの間が短い分、上手く気持ちを切り換えられるのか心配していた。またそんな彼を伊那小陣営が、どう見た上でオーダーを編成していくのかという点も注目であった。

ところで伊那小陣営が分析した準決勝に残った3校の特色は次の通りである。

・藤江小(兵庫)
伊那小の準決勝の相手である。関西最強と目される選手を擁する。この選手は後に行なわれた倉敷戦で弓田君を倒している。現在は奨励会に在籍。伊那小サイドは、この強豪小学生を大将に持っていくと予測していた。

・加納小(宮崎)
強豪兄弟を擁してここまで勝ち上がってきた。特に兄は前年の公文杯で県代表になっている。この兄弟もまた共に弓田君と対戦経験がある。弓田君は兄に勝って弟に敗れている。

・宮本小(千葉)
これまた強豪兄弟を擁する。共に実力的には三、四段の力があるとされる。宮本小が強豪兄弟に加えて倉敷戦低学年の部の優勝者を交えた、優勝するに相応しい強力チームであった事は確かである。

いずれも半端な実力ではない強豪校ばかりである。それと兄弟・親友で強い選手がいるというのは(特に兄弟)大きな強みであり利点であるといえよう。

出来るだけの情報を集めて適切なオーダー編成によって活路を見出そうとした伊那小サイドがVS藤江戦にて選択したのは大将・原、副将・弓田、三将・白井であった。そして藤江小は、伊那小の予測通り大将にエースを持ってきた。

icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif相手エースとの勝負を敬遠して弓田・白井の二枚看板で手堅く2勝を取りにいく、これが伊那小陣営の作戦であった。この種の堅実策は選手の希望というものは見えてこないのだが、私に言わせれば、この日の弓田君にエース対決は無理であり無謀である。その点止むを得ない点もあったと思う。それとも伊那小陣営は弓田君の体調の良し悪しを問わず、このオーダーで臨んだのであろうか?

堅実策ではあったが、惜しむらくは原君にも「自分の勝利でチームの勝利に貢献する」という土壌も欲しかったと私は思っている。それは実は伊那小陣営も同じ思いだったかもしれない。ただそうなると真向勝負策しかない。これは選手の士気と団結力を高める代りに、チーム力に差が無いのにストレート負けというリスクを伴う。優勝を目前だという心理状況で采配を振う立場にある者にとって、なかなか採用し難い作戦だ。ましてエースが体調不良では・・・

但し相手チームに、ずば抜けて強い選手がいると分っていて敢えてエース対決を挑ませる人も当然いるし、今回のケースの場合なら、弓田君の体調が悪ければ、何の躊躇いもなく白井君を相手エースと戦わせる人も私の身近に存在する。それが誰なのか明らかにする気はないが、要は如何に強い信念を持って選手を引っ張って行けるかであろう。

ともあれ白井・弓田という、勝ち星を計算できる選手を効率良く使う事で決勝進出を目論んだ伊那小。先ずは弓田君が先勝。原君が相手エースに破れ、勝負の行方は白井君の手に掛ってきた。試合の方は熱戦だったようで、白井君の調子も悪くなかった。だが相手の方が僅かに上だった為、白井君は惜敗の憂き目に遭ってしまった。この瞬間「伊那小3棋士」の全国制覇の夢は断たれた。結局それを果したのは、この藤江小を2-1で破った千葉の宮本小であった。

だが伊那小の戦いは終わったわけではない。加納小との3位決定戦という最後の大勝負が待っていた。宮本小と同様に兄弟出場が売りの加納小。準決勝では兄を大将に、弟を副将に据えていたが、3位決定戦も不動のオーダーで来ると踏んだ伊那小陣営は大将・弓田、副将・原、三将・白井という組み合わせで最後の決戦に挑んだ。そして1-1のまま勝負は大将戦で決する事になった。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif3位決定戦の命運を握る大将戦は終盤まで激しい攻防が展開されたが、その途中から弓田君が攻勢に出た。相手玉は、なかなか捕まりそうもなさそうに見え、一手でも攻め足を止めたら終わりだと思われたが秒読みの弓田君の攻めは最後まで休む事が無かった。

冷静な表情からは、とても病身とは思えなかったが弓田君にとっては地獄を見る思いだったに違いない。勝ち負けよりも早く終わってくれと懇願したい気分であり、相手が投了した時は勝った事より終わった事でホッとした気分だ。伊那小陣営、特に弓田君の母親は胸が張り裂けるような思いで見ていた筈である。

弓田君の母親の本音は、息子やチームメイトに恨まれようと力ずくで息子の出場を断念させたかった、と私は推察している。個人戦なら、そうした可能性が高い。だが団体戦である故に言いたくても言えなかった。正に断腸の思いであったろう。そして全く弱音を吐かずに戦い抜いて大きな結果を勝ち得た息子の勇姿を見てこみ上げるものがあったかもしれない。

この頑張りとデータを駆使した効率良い選手起用が伊那小を3位入賞に導いた。選手は勿論、家族までもが一致団結しての鮮やかな大躍進であった。
icon-animearamis.gificon-animedaru.gificon-animeporu.gif伊那小3棋士には家族の他にも力強い応援者がいた。長野県の将棋の発展に大きく貢献して下さっているプロ棋士、石川陽生、勝又清和の両先生であった。中信地区にまで修行の場を求めた伊那小3棋士は「窪田空穂記念館将棋教室」で2人の先生と深い交流を持った事は前にも述べたが、よもや2人揃って応援に駆けつけてくれるとは思わなかったであろう。

彼等にとっては、この嬉しい誤算もパワーアップに繋がったのかもしれない。選手や家族と共に私も両先生に厚く御礼申し上げたいという気持ちである。

見事3位入賞を果した伊那小3棋士のその後だが、弓田君は研修会に入会。強い子供達と揉まれ切磋琢磨しながら将棋の腕を磨いている。JT小学生大会ではベスト16に入る活躍ぶり。ながの東急将棋まつりでは初のステージ対局を経験。角落ちながら安食女流プロを相手に堂々たる指し回しで勝利を納めた。県内の大会でも上のクラスに挑戦の意欲を見せており。これからどこまで伸びるのか興味の絶えない大器である。

それにしても結局弓田君は、この団体戦を無敗で乗り切った事になる。並居る強豪に加えて体調不良に苦しみながら全勝とは本当に見上げたものである。

白井君も各種大会で奮戦ぶりを披露している。中でも赤旗大会では新人戦に挑んで準優勝。二段免状にあと一歩という所まで迫った。県選手権でもD級にて本大会進出を果し、今度は初段免状に挑む。ここには佐久の秀才小山源樹君を始めとして幾多の強豪が揃っているが2つの団体戦で得たものを生かせば免状獲得は勿論、更なる躍進が期待されるホープである。

原君にとって、これだけの大勝負を経験した事は貴重な体験だったようで、JT杯では、大会後に自由対局を数多くこなし、何と14勝1敗という凄まじい勝ちっぷりを見せた。仲間の2人との距離を縮めるのには、まだまだ時間が掛りそうだが、様々なイベントに積極的に参戦意欲を示す。塩尻支部勢に交じって山梨にも遠征する事にもなりそうだ。彼の元気強さが、どれだけ強豪達相手に通用するのか、これも見物である。

また他の面でも「伊那小3棋士効果」が表れる。この活躍によって伊那小には再び将棋の人気が高まったようだ。とりわけ選手の妹達まで道場通いをするようになり、女の子だけで団体チームを作れそうな雲行きであるようだ。もしそれが本当なら、早ければテレビ松本杯の小学校団体の部でチームとしてのデビュー戦を迎える事になるのだが・・・まあしかし家族の本音は、大会出場は、もう少し強くなってからにしたいと考えているのでは?というのが私の予測であり、そうは言っても早く晴れ姿を見たい、これが私の本音である。

これまでにない活躍を見せて全国に名を轟かせ、長野県の将棋界にも様々な効果をもたらした伊那の小さき3勇士。これからも名物チームとして幾多の実績を積み上げるのかもしれないし、最近は3者3様の道を歩んでいるように見えるので、逆にこれが最後になるかもしれない。しかし伊那小3棋士の快挙は永遠に語り継がれる事と、3人共将棋に熱心に取り組んでいる事に変りは無い。これからも将棋を通じて、立派な人間として育ってくれる事を切に願いたいものである。

最後に、この連載の支援のみならず、様々な将棋イベントに多大な御協力をしてくださっている御家族の皆様に心より厚く御礼申し上げます。これからもどうか宜しく御願い致します。

(完)