学生団体戦名勝負集・学生達の祭典1(2008年・長野県オール学生団体戦)
長野MSG総統・著
平成20年という節目の年、秋の色が深まりつつあった松本市にて長野県では初めてのイベントが開催された。学年の枠を取り払い小学生~大学生が同じ条件の下、横一線でスタートを切って覇を競い合う「オール学生大会」である。記念すべき第1回大会は3人1組の団体戦のみの開催である事から「長野県オール学生団体戦」と名付けられた。
当初は学校別対抗方式を考えていたようであるが、小中学生となると流石に3人揃えるのは至難の業であり、また人員が揃っていても高校生や大学生とのレベルと経験の差の大きさから二の足を踏む学校が続出する可能性も高かった。かといって混合チームを認めたら、逆に高校生による強力なチーム、例えば当時の高校生だと藤居賢、太田啓介、沖津駿介のトリオなどが実現したら、堪ったものではない。なるべく戦力は均等にしたいというのが主催者の偽らざる本音であろう 結局小中学生のみ混合チームを認め高校生以上は同一学校でチーム結成という事で落ち着いた。ここで余談であるが、かつて私と親しい学生の中には、短大や高等専門学校で10名近い部員を揃えたという者もいた。もし彼等の時代に、この大会が実現していたら短大や専門学校から出場チームが登場していたかもしれない(専門学校生の方は、この大会から2年程前に、全国等専門学校大会の長野県開催が実現している)惜しい気がするが、いつか必ず実現する事を期待したい 参加チーム数は、予想を遥かに上回る15チームとなり、日時は祝日の9月23日、会場は松本市勤労者福祉センター3階会議室となった。参加チームが多かった為に、その会議室も中信予選が行なわれる広い会場を借りる事になったようだ。日曜開催が理想的だったようであるが、祝日に広い部屋を押える事が、しかも皆が良く知っている会場を確保出来たのであるから上出来と言えるであろう。 今回は大会での戦いぶりと参加チームの各選手、学校、支部の歴史(名勝負)を私が知る限りで振り返りながら進めたいと思う。 |
予想を(少なくても主催者のそれを)上回る15チームの参加。その参加チームと、チーム名を御紹介しよう。
そしてチーム編成については大学・高校と小中学校とでは大きく特徴が異なっていた。 |
15チーム参加でスイス式リーグ戦で行なわれた「長野県オール学生団体戦」ここからは各校の戦いぶりを、私が知る限りの歴史を振り返りながら書き綴りたいと思う。
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次に紹介するのは小中学生で唯一学校単位での出場となった茅野市・永明小学校である。それも2チーム出場させてきたのである。そして何と言っても、今年の文部科学省杯にて小学生の部で優勝、晴れて長野県代表校となった学校である。このオール学生団体戦でも、4位入賞を果すという大健闘を見せてくれた。 茅野市は南信地区の東南部に位置し、北は諏訪湖への玄関口、南は富士見町を挟んで甲州街道。西は伊那谷、東は佐久平に接する。交通の重要な分岐点とも言える都市である。とりわけ佐久・白樺湖に通じるルートで見られる高原の景色と、伊那谷に通じる杖突峠から眺める街の風景は、正に絶景である。 その茅野市にある永明小学校。ここについて語るのに外せないのは何と言っても、この年の文部科学省杯であろう。この大会では小学校の部において稀に見る大激戦が展開された。 南信代表として県大会に臨んだ永明。この時のメンバーは、下原直人、藤木諒、寺沢凌の3君であった。下原君が6年生で他の2人が4年生であり、そして3人共に岡谷道場支部の会員である。岡谷道場支部と言えば、特別師範代の長沢忠宏先生の名前と、岡谷市のイルフプラザで開講しているカルチャースクールが思い浮かぶが、永明の生徒達も、よくそこに通っているようだ。長沢先生にとっても茅野市への将棋の普及は大きな命題の1つのようである。同時に永明小の将棋にかける意気込みは何処にも誰にも負けない事は確かである。 小学校団体戦は、最終的に永明を含めた3校が2勝1敗で並ぶ大混戦となり、順位を決めたのは選手の勝ち星の合計であった。永明が6勝で、他の2校の5勝を僅かに優り、紙一重の差で優勝を勝ち取った。優勝した瞬間は、始めは嬉しい現実を、なかなか受け入れられず困惑した選手と家族であったが、現実を受け入れた時の驚きながらも歓喜する姿は、今でも私の記憶に焼き付いて離れない。 正に鼻差の混戦を制した永明であったのだが、この時の永明の勝因を私なりに挙げるならば。 ①全勝者こそいなかったものの、3人全員が勝ち越し。これは永明のみが達成している ②この大会での3-0のストレート決着は6試合中1試合のみ。それを果したのも永明であった 言わば永明はチームワークだけでなく個々の選手の実力も安定していた。さもなくば東日本大会にて(予選突破はならなかったが)2勝1敗と勝ち越せる筈はないのである。 その永明小であるが、知人に誘われると、迷う事無くオール学生団体戦の出場を決めたようだ。文部科学省の優勝メンバーを振り分けての2チーム参加であるが、藤木・寺沢・下原の3君にて構成された「藤寺下」(※下原君は直人君の弟、下原良紀君である。直人君は「永明」チームに入っていた)が最強チームである。「藤寺下」としては来年以降を睨んでのチーム構成と思われる 藤寺下は初戦こそ長野支部チームに敗れるも、北信選抜チームとも言える強力トリオを相手に、善戦健闘を見せる。その後は着々と白星を積み重ね、最後は入賞争いの大一番で岩村田女子団体優勝トリオを破る。これがモノを言って見事4位入賞を果した。全国大会までも視野に入れているであろう永明小にとっては大きな弾みになったのではないだろうか。 この後、永明小はテレビ松本杯において小学校学校対抗戦に参加して決勝戦進出を果す。決勝の相手は3人共に松本将棋道場支部会員である筑摩小である。昨年は決勝まで勝ち上がった中信の強豪相手に、どんな戦いを見せてくれるのか? |
信州大学・岡野部長のテキパキとした挨拶、そして松本仁志氏による丁寧なルール説明があった開会式の後、いよいよ「学生達の祭典」が幕を開ける。それまでは、あちらこちらにて賑やかな声が聞こえていたが嘘みたいに静まり返り、激しい戦いが各所で繰り広げられる。 第1戦。私が注目したのは松本深志高校と岩村田高校の対決であった。両校共に3チーム出してきた長野県でも屈指の名門校同士の戦い。初戦では2試合実現していた。深志最強チームには、チーム穴熊が、そしてナンバー2のチームと思われるチームには女子団体優勝トリオが挑む。 団体では県下一の実績を誇る松本深志高。全国4強と8強を、それぞれ1度ずつ経験している。OBには東北棋界で活躍している上條祥氏、全国オール学生選手権の準優勝者・蒔田元氏、大学十傑戦東北代表の平島大介氏など、県外で活躍している棋士は枚挙に暇が無い。我が故郷・安曇野市からも、立教大学の池上壮一郎氏や、北海道大学の白木隆裕氏が、共に強豪大学校の主力として活躍。県内においても船坂徹氏や土屋英樹氏が強豪として知られる程の活躍を見せている。 これだけの実績を持つ松本深志だけに今回の3チーム登場は当然のように思えるが、実を言うとここまでの道程は決して平坦なモノでなかった。 この年の3年前の平成17年に男子団体優勝を果たし、全国8強入りを果した深志ではあるが、新期で残った部員が嶺山友秀君ただ1人であった。その嶺山君も、翌年1月の新人戦全国大会を最後に運動部の活動を優先する事になる。これから数ヶ月間、深志の部員数は事実上ゼロという状態となり、平成18年度に入部した1年生達が、いきなり最上級生といっても良い。 早い話、今の深志は、3年前に産声を挙げた、全く新しい深志棋道部といっても過言では無い。この新生深志を盛り立てたのが二木拓也部長であった。彼自身、高校選手権では男子個人の部で準優勝を果し、都市対抗戦では松本市チームの優勝に貢献。更に翌年19年には団体戦で準優勝を果すまでに深志棋道部を立て直す。 その上、後を引き継いだ小林隼貴部長も、優れたリーダーシップを発揮して、深志棋道部を強化させるのであるが、これについては決勝戦辺りで語りたいと思う。 |
初戦で実現した松本深志高と岩村田高の2大決戦は、共に1-1となり最後の1戦に全てが委ねられる。最終目標たる高校選手権の前哨戦とも取れる戦いだけに両校の意地と意地が激しく交錯する。
ましてライバル校の野沢北高が、最強メンバーが全員3年生で構成されており、しかも3人共、全国大会の経験が豊富だったからである。その上、この内の1人が、前年の全国準優勝経験者が含まれており県大会は勿論、昨年あと1歩で逃した全国制覇をも狙える程の強力チームであった
2年生だけのトリオで優勝するというのは、一時代を築いた、あの伊那北や野沢北でも至難の業である。黄金時代の最中にあった伊那北でさえ、経験不足によって大町や飯山南に優勝を譲ると言う苦い思いをしている程である。それを新興勢力が殆ど最初と言っても良いチャンスでモノにしてみせるとは・・・ |
松本深志と岩村田の2大決戦、先に決着をつけたのは「Doragonnfly」と名乗る深志最強トリオであった。恐らくは岩村田男子最強と思われるチーム「チーム穴熊」の厳しい食い下がりの前にヒヤリとさせられたが2-1で振り切った。
実戦の場を求め、さまざまな大会に部員を引き連れて参加する。実践だけでなく、そこに手頃なスペースがあれば、瞬く間に自校の部室へと様代わりさせる。とりわけながの東急の長机を借り稽古する光景は正に壮観であった。何しろ机1台どころか1列でも足りないと思うくらいの多数の部員が稽古に励んでいたのだから・・・ 加えて戦い方にも拘りを持っているようだ。私が初めて岩村田の3人娘を見かけたのは、この年の前年の高校女子団体戦3位決定戦であった。当時1年生トリオで出場した岩村田は、これまた1年生主体の野沢南チームと対戦していた。結果は野沢南が2-1で勝っている。 この時私が目にしたのは、3人共に振飛車穴熊を採用していたという事であった。だが今では、全く別の戦法を多用しており、振飛車穴熊で戦う姿を見る機会が無い。選手達が自発的にやめたのか?或いは土屋先生がやめさせたのか? 真相が掴めないので、憶測するしかないのだが、私は顧問の指示が色濃く反映したと見ている。「あの土屋先生に、全く受け身の戦法や、穴熊に感化されて、固さばかりに頼るような傾向を黙視出来る筈は無い」というのが私の考えであるからだ。もしそうだとすれば岩村田将棋部は、随分顧問の先生の意見が反映されているという事になるのだが。 この所謂「土屋イズム」というべき、積極的な姿勢が岩村田の精神的支柱になっているようで、部員達は、礼儀正しい上に闘志満々で、その彼等のもたらす雰囲気は、まるで武道部である。 顧問の人徳と、部員の闘争心に惹かれて各地区の学校・支部が、幾度も岩村田に来訪してくる。遥か南西に位置する塩尻支部(多数の会員は勿論、プロ棋士を帯同して来校する事も何度かある程である)や信州大学との連携、もしくは野沢北や野沢南とのそれは、一種のトライアングルを感じさせる。その2つのトライアングルにて、共に中心的な存在に置く岩村田の求心力の凄さと素晴らしさには驚嘆すると同時に敬意を表したいというのが私の考えである。 |
熱戦が展開された「Bridgestone」と「岩の上のポニョ」(岩村田高)の戦いは、これも2-1で深志サイドに凱歌が上がった。岩村田女子チームは最後まで押し気味に試合を進めたのだが、あと一歩及ばなかった。 惜しい勝負を逃した岩村田女子チームであるが、もう1つの深志チーム「チームスターダスト」更には同校対決となった「岩村田高校C」との戦いを制して連勝。最後は永明小学校最強チーム「藤寺下」に1-2惜敗したが2勝2敗は岩村田3チームの中では一番の好成績であった。 しかも佐藤加奈さんは4戦無敗で見事に全勝賞を獲得。佐藤さんは高校の大会では、男子の部に入って優勝する程の腕前を、この大会でも如何無く発揮した。その後彼女達は、高校新人戦にて団体優勝は勿論、個人戦においても1~3位を独占して、3人揃って全国大会出場を果たした。留まる事を知らない彼女達の快進撃。最大目標は佐藤さんの姉が、あと一歩の所で届かなかった全国制覇である。それに向けて今も熱心に練習している。 男子の方は経験不足の感が否めなかったというのが私の実感である。しかしながら赤旗B級で、東信代表になった佐藤直輝君(佐藤加奈さんの実弟である)や高校新人戦でベスト4まで勝ち残った鶴田康介君など、期待の選手が続々と台頭してきた。岩村田が、これからも楽しみな存在である事は誰の目にも明らかである。「岩高健児」のこれからに大きな期待を持ちたいと思う。 一方、松本深志は2チームが初戦突破を果たす。2回戦は「Bridgestone」が、伊那中チームに屈したものの「Doragonfly」が信州大学チームを撃破。準決勝進出を果した。 その2回戦にて私が注目していたのは塩尻支部と松本道場支部の戦いであった。ある時は、数々のイベントにおいて協力しあい、またある時は、各種大会にて激しくしのぎを削ってきた中信の2大支部が、今回は学生対決で激戦を繰り広げる事になった。 |
中信地区のライバル対決となった、松本道場支部と塩尻支部(正確には塩尻支部と軽井沢支部の連合軍というべきか?)松本道場支部は、山本一輝、山本渚生、清沢匠の3君が「松本道場支部3人組」というチーム名で、一方塩尻支部は中村祐貴、熊谷慧、小山源樹の3君が「帰ってきた熊ちゃんズ」なるチーム名で出場していた。チーム名の由来は「帰ってきたウルトラマン」からなのであろうか? 塩尻支部の団体戦での活躍は目覚しい。この年だけの実績を羅列しても・・・ ・支部対抗戦 河合空紀先生と柏原哲也、沖津駿介の松商学園勢2選手のトリオによって3度目の県代表、また東日本大会でも準優勝を果たした平成18年以来、2度目のベスト8進出を果す。 ・文部科学省杯小中学校団体戦 塩尻支部会員ではないが「石川・勝又教室」の門下生トリオで構成された木祖村・木祖中学校が宮川弦士、小林秀平、篠原優斗の3君のトリオで県大会準優勝。 ・ながの東急団体戦 新井浩実、池上俊輔の2選手という、これまた松商OB勢に藤居賢先生を加えたトリオが、東急団体戦にて準優勝。 ・山梨YBS杯団体戦 僅か3年で無敗のままBクラス昇進を果す。 正しく塩尻支部は県の内外を問わない破竹の快進撃を重ねていったのである。 団体戦のみならずプロ棋士の指導対局を通じての交流の輪も東北信から県西部まで拡げていった塩尻支部だけに、当然ながら本大会にも積極的に参戦してきた。 私自身は、あくまで主役は学生達という事で中村君をキャプテンに指名した以外、一切口出しはしなかった。その中村君と熊谷君が、3人目に誰を引き込むかが注目されていたが、結局彼等がパートナーに選んだのは小山源樹君だった。中学生名人経験者の中村君に小学生名人戦経験者の熊谷、小山の両君による強力なトリオが結成されたのであった。 この年の小学生2冠王の小山君。軽井沢支部に入会したのは、2年前である。団体戦でも本題の3年前にチーム佐久の大逆転優勝や、前年の支部対抗戦での3位入賞に貢献していた。更には本大会の1月前のながの東急団体戦では市川憲治、中村祐貴の2選手と共に「若葉会」チームとして参加。塩尻支部との対決では小山君が私・丸山佳洋を破ったのが決め手となって若葉会チームに勝利をもたらした。 ながの東急団体戦の例でも察する通り、小山君は塩尻支部会員の方々からも大変好かれており、中村君や熊谷君にとっても良き友人でありライバルである。今思えば、塩尻支部と岩村田高校の繋がりが固くなったのも、土屋先生の他には小山君のお蔭であると思うくらいである。 このような経緯から、3人がチームを結成したのは、塩尻と佐久の愛棋家の固い絆がもたらした産物なのかもしれない。 |
今更説明無用とは思うが「松本将棋道場3人組」の山本一輝、山本渚生の両君は、実の兄弟である。彼等自身熱意のみならず御両親の御支援によって、着々と腕を上げてきた期待のホープである。 兄・一輝君は、この年の県中学生名人戦で3位入賞を果している。そればかりか関東アマ名人戦や都市対抗団体戦にて県代表になり、その上、竜王戦中南信予選では2年連続長野県アマ名人戦優勝者を破る大殊勲をやってのけている。 全国優勝経験者クラスや、東日本の強豪学生と幾度も指せた事、また力戦振飛車の達人を破った事は彼にとって貴重な経験となり、また自信を深めた事であろう。 一方、弟の渚生君も、小学生名人戦で県4位、文部科学省杯団体戦で県2位という実績を持つ。倉敷王将戦での低学年の部の優勝を含め、こちらも力をつけはじめてきている。 これに小学生大会で公文杯県3位、倉敷戦県2位という実績を持つ清沢匠君を加えて結成されたのが「松本将棋道場3人組」である。名前が示す通り、3人全員が松本道場支部会員であり更に言えば全員が松本市出身者である。 この年に3人が活躍した団体戦に都市対抗団体戦が挙げられる。3度目の県予選にして初めての上田市開催となったこの年に松本道場支部は2チームを送り出す。過去2回ともに優勝を逃した松本道場支部は内川新一支部長のチームに元・県竜王の小林勇司先生を組み入れる。これが初の参加となる小林先生、松本道場支部は、いよいよ切り札を投入してきたのである。更にはシニア名人戦準優勝経験者の鎌田哲也先生が、内川先生との初合体を果す。 このチームに一輝君と清沢君を小中学生選手として加えた所に松本道場支部の、これまで以上の意気込みを感じる事が出来よう。 更にもう1つも強力チームなのは言うまでもないのだが、このチームにおいて何と母子がチームメイトになるという思わぬ副産物が生じる。山本兄弟の母親が渚生君と組み出場したのである。母子チームを目にしたのは私自身初めてである。母親として自分の息子と共に指せた事は感無量であったと思う。 6チームが参加した同大会は3勝2敗が3チーム、2勝3敗が3チームという超ダンゴレースとなったが内川先生、一輝君、清沢君を擁する松本市チームが勝ち数で僅かに上回り念願の初優勝を果したのであった。内川先生の期待に応えた一輝君、清沢君の活躍は誠に見事であった。また渚生君も公文杯で連敗した清沢君に雪辱を果すなどの奮戦ぶりを見せてくれた。 この3人がトリオを組んで臨んだ本大会。兄弟の絆は勿論であるが山本兄弟と清沢君のそれも、実の兄弟の同等の深さを持つ。塩尻支部との対決はチーム編成の特色が異なる者達の戦いという事でも私は注目していた。 地域を越えた友情の輪と地元選手の結束力。異質とは言え固いチームワークを育むエネルギーの強さと言う点では同質だ。そのエネルギーのぶつかり合いは当然ながら激しい戦いへと発展していくのであった。 |
塩尻支部「帰ってきた熊ちゃんズ」VS「松本将棋道場3人組」の戦い。注目のカードは山本兄VS小山、山本弟VS中村、清沢VS熊谷という組み合わせであった。3試合ともに中学生VS小学生という事になったが実力伯仲の熱戦が期待された。 中でも高レベルの激戦が期待されたのが山本兄VS小山戦で、その期待通りの熱戦が、終盤まで展開されていた。最後は小山君が手勝ち模様になったようだが、最後まで諦めなかった一輝君が必死の抵抗を見せて大逆転の粘り勝ちとなった。 一方、弟の渚生君は、中村君相手に得意のカウンター攻撃を見せて優位に立つも、一瞬の逸機を中村君が逃さず、手厚い指しまわしで早々に形勢をひっくり返す。中学生大会優勝・準優勝共に1回、小学生大会準優勝2回の実績を持つ研修会員の中村君の方に一日の長があったようだ。 残り1局は熊谷君が清沢君を破る。これによって「帰ってきた熊ちゃんズ」が2-1で松本道場支部チームを破り準決勝進出を果した。3局とも中学生が勝ったという事で、結果的には経験の差が決め手となって塩尻支部チームが勝利を納めたが、その差は僅差で将来逆転する可能性は、極めて高いと私は見ている。 創立30余年の松本道場支部。そこで鍛えられ育った少年達の、ほぼ9割以上が居飛車本格派であるというのが私の印象である。振飛車と比べて覚えるのが大変と言われる居飛車戦法だけに、教えるとなると物凄い根気が要ると思うのだが松本道場支部は数多くの居飛車本格派の強豪棋士を実に30年以上に渡って輩出している。 覚えるのが大変な分、最初はなかなか勝てないものの、身についた者達は、驚く程に大局観が、シッカリとした将棋を指してくる。そして終盤の鋭さが半端でないのも「内川門下生」の凄い所であり松本道場支部が優良道場に指定された要因の1つでは無いかと私は思っている。 今でも山本兄、清沢の両君が松本道場支部の伝統を受け継ぐかの如く、良い感じで腕が磨かれているようだし、振飛車党の渚生君も、その達人に教わっている機会が多い分上達が期待される。彼が教わる将棋も、また本格派の流れを汲んでいる。このまま得意戦法に、磨きをかけるのか?それとも居飛車へのコンバートがあるのか?今後が注目される所である。 準々決勝と見なされるスイス式2回戦。これに勝ち準決勝に勝ち進んだのは塩尻支部、伊那中、長野支部、松本深志高の4チームであった。その準決勝の組み合わせは次の通りである。 塩尻支部「帰ってきた熊ちゃんズ」VS伊那中学校「いけいけチーム」 松本深志高「Doragonfly」VS長野支部「北信少年」 |
長野県初の試みとなったオール学生選手権。その大会の雰囲気は、例えて言えばプロ野球の球宴のように私は感じていた。 小中学生達は、チームや地区の枠を越えて盤を並べるなり、昼食を共にするなりして友好を暖めあう。普段から交流している事もあって、ぎこちなさなど微塵も感じない。これはある会による功績でもあるのだが・・・その「ある会」については後半にて、いずれ紹介する。 引率者たる父兄様達も子供達の楽しむ姿を見守りつつ談笑にも花を咲かせている。中には自分の子供の将棋を記録に残そうと棋譜用紙は勿論、ホームビデオで録画する親御様も見掛ける。数年前には考えられなかった光景も、今ではそれほど不思議ではない。 この親御様の中には、小中学生チームが、続々と大学・高校生を負かす光景を意外そうに感じた方達もいた。無理も無い。幾ら道場で鍛えているとはいえ、自分の息子とその仲間達が、遥かに年が離れた大先輩の学生を負かしてしまうのだから・・・ 確かに2回戦を終えた時点で全勝をキープしている4チームの内の3チームが小中学生チームであり、残り1チームは高校生チーム、大学生チームは全勝ナシという状況であった。対戦成績を見ても小中学生VS高校・大学チームでは小中学生が8勝4敗と大きく勝ち越している(因みに、大学生チームVS高校生チームでは、大学生チームの4勝2敗である)学校・学年の枠が取り払われた分、各地区の道場の秀才が集ったという点を考慮しても小中学生の活躍は見事である |
この連載を執筆中に長野県学生棋界に新しい栄光の歴史が記録された。平成21年の高校新人戦において長野県代表選手2名が準決勝進出を果す。 これだけでも物凄い大快挙であるのだが、その内の1人である箕輪進修高の太田啓介君が、何と全国制覇を成し遂げたのである。因みに長野県から高校日本一の選手が誕生したのは20年振りの事であった。 ・長野県代表者による高校日本一 ・長野県代表者2名がベスト4進出 これらを同時に成し遂げる前代未聞の快挙は、長野県将棋界の歴史の中でも最大の出来事として未来永劫に語り継がれていく事であろう。 その太田君。高校日本一になる位であるから長野県予選は破竹の快進撃で勝ち進んだと思う方も多いかもしれない。事実彼の戦前の下馬評は極めて高く、しかも長野県代表枠は2名という事で大会前から当確と言われても良いムードが高かった。 しかし現実は準々決勝から苦しい戦いを強いられ、代表の座を勝ち取ったものの、優勝する事は叶わなかった。彼の進撃を止めたのは長野南高の藤居賢君であり、彼を苦しめたのが松本深志の2選手であった。この2人と部内でもナンバー2の実力者と評価の高い選手によって結成された深志最強チームが「Doragonfly」である。 高校団体戦準優勝メンバーである小林隼貴、中村慎之介の両君にこの年の赤旗新人戦準優勝者である百瀬智仁君によるトリオは現時点で深志最強のトリオと言っても良い。新人戦では太田君が、団体戦では連覇を果した飯田高校が、この深志勢に散々苦しめられた。 エースで部長の小林君を語るには、この後に行なわれた県選手権を語らなければなるまい。A級に挑戦した小林君は、準決勝で竜王・王位2冠王の五味正臣先生を、そして決勝では元・竜王であり師匠格とも言える久保村東洋先生を破り、高校生にして信州王将のタイトルを勝ち取った。 太田、藤居両君の大活躍の前では流石に影が薄い感があるが、長野県のタイトルを奪取した小林君は、紛れも無い飛び切りの学生強豪なのである。 また相棒である2人も、なかなかの強豪で中村君は高校新人戦で3位入賞。百瀬君も高校竜王戦に中南信代表となっている。小林・中村両君と違って、高校に入ってから本格的に始めたと思う百瀬君であったが、小学生から道場で腕を鍛えていた選手を連破しての県大会進出達成は見事であった。 更にこの2人は、赤旗新人戦にて中信代表の座を独占。県大会では、伊那の中学生棋士(そして小林君の弟弟子でもある)白井貴浩君に優勝を攫われたものの、2人共上位進出の活躍を見せてくれた。 小林君が部長になってからの松本深志勢は今まで以上に積極的に大会・イベント参加するようになった。アマ名人戦では、小林・中村の両君が果敢にA級に挑戦。そればかりか上田支部主催の「東大交流会」にまでも部員4名が参加する程の積極ぶりであった。この4人の中には、当然ながら「Doragonfly」のメンバー全員が含まれていた。 これもひとえに、部長である小林君の卓越した統率力・人徳・指導力だと私は見ている。自身は元より、これだけの部員を大会に参加させる事など、まして上田遠征に引き連れて行く事など、到底不可能である。彼自身、2度も上田市のイベントに乗り込むくらいである。これこそが自身の赤旗での善戦、信州王位奪取のみならず、高校大会で団体準優勝1回、3位入賞者2名という実績を2年生だけで達成出来た要因であろう。平成21年の目標は当然ながら団体優勝、そして打倒藤居・太田である。 その深志最強チームは、岩村田高・信州大学チームを共に接戦の末に撃破。そしていよいよここから強力小中学生チームとの連戦に突入する事になった。穴の無い強力チームとの対決は、高校選手権以上に彼等の真価が試される戦いと言えるであろう。 先ず深志最強チームの前に立ちはだかるは長野支部・北信少年チームである。 ここについて語るには、そしてこの大会に多数のチームが参加した要因の1つを説明する為にはある将棋教室について触れなければならない。 その将棋教室の名は若葉会(現・若葉将棋研究会) |
もし私が、この大会にサブタイトルを付けるとするならば「松本平に若葉会がやってきた!!」とでも名付けるであろう。それほどまでに、この大会には若葉会の常連の学生達が集っていた。 こういう時は、ちょっとした心の持ち具合が勝敗の行方を大きく左右するのだが、この戦いも、微妙な心理状況が、勝負に影響をもたらせた。その微妙な心理状況は私にとっても意外な場所に存在していたのであった。 |
松本深志高と長野支部小中学生チームの準決勝は1-1のまま、両エースの対決によって雌雄を決する展開となる。試合の展開は、先手を持った深志・小林君が相掛りに誘導、塩川君がこれに追従する形で進行していった。 塩川君は色んな形に精通しているようである。矢倉好むかと思えば、中学生名人相手に自分から横歩取りの戦いを挑んだり、或いは後手番四間飛車を試み、不慣れと思われたVS中央位取の戦いを堂々たる指し回しで同年代のライバルと渡り合い、いずれも私の目の前で見事な勝利を納めて見せている。「田中博己先生辺りを手本にすれば、もっともっと伸びる事になるのでは?」と私は予測しているが・・・ しかし今回、塩川君にとって思わぬ「疫病神」が存在していた。最もそれは、私の勝手な想像なのかもしれない。何故なら私が疫病神と見なした、その人物の名は丸山佳洋、つまりこの私自身だからだ。勿論、小林・塩川両君共、そんな事は今でも思っていないだろうが・・・ 私が、この対局の記録係として張り付いたのを見て、小林君は塩川君を相当な実力者と判断したらしい。強気な棋風が身上の彼は、これによって一層気を引き締め、普段以上に積極的な戦いに踏み込もうと心掛けたのか?金銀四枚に中段飛車の横利きでガードされた塩川陣に二段桂で中央に狙いを付けていく。 この強気な前進が、まだまだこれからと思われた戦いを短期決着に結び付ける。角の王手で揺さぶりを掛けた小林君が飛車先突破に成功。敵陣に成り込んだ竜が大暴れを見せて中段で踏ん張る塩川玉を見事に寄せ切った。これによって松本深志高は強力小中学生チームの一角を崩し、見事決勝戦に勝ち残るのであった。 小林君は、本当に記録係の存在を理由に相手の実力を測り、尚且つ作戦を選定したのか?それは本人以外、誰にも分らない事である。もしそうであるならば彼も相当な戦略家である。まあ野球でも相手だけでなく、審判(球審)のクセまで研究するのが大事な作戦と言われるくらいであるので、将棋でも、とりわけ未知の強敵を相手にした時は有効手段の1つなのかもしれない。 惜しくも敗れた「北信少年」チームであるが3人の未来は勿論、北信の未来も前途洋々のように感じる。若葉会の盛況のみならず、この年の12月には、いきなり60名を超える会員を揃えた巨大支部、長野安茂里支部の誕生(翌年21年の支部対抗戦では初登場で初優勝を飾る)に加え高校新人戦では(本人は無念だったろうが)藤居賢君が、全国3位という活躍を見せてくれた。プロ棋界でも木下浩一プロに続いて田中悠一プロが誕生したのも、この平成20年の事である。これらの活躍に続くように、或いは超える位の成長と活躍を「北信少年」の3人組にも期待したい その頃、同じ全勝対決である塩尻支部VS伊那中の戦いにおいて、今正しく、これから歴史を作り始めようとするニューヒーローが誕生していようとしていた。 |
塩尻支部の中学生部隊「帰ってきた熊ちゃんズ」と伊那中学校「いけいけチーム」の戦いは同時に塩尻支部&軽井沢支部連合軍VS上伊那支部&上田支部連合軍の戦いでもあった。団体戦にて大活躍した事や東信地区の小学生有志を招いてチームを結成された混成トリオである事が、この両チームの共通点である。 「いけいけチーム」の弓田潤君と原悠一郎君は、白井貴浩君とのトリオにて「文部科学省杯争奪小中学校団体戦」にて、両部門に又掛けて2年連続全国ベスト4進出という大活躍を披露した「伊那中三棋士」のメンバーである。この年の前年に小学生部門で3位に躍進した三棋士は中学校も同じという事もあり、再びトリオが復活。県予選を圧倒的な力で勝ち進み、中学生部門でも見事県代表となった。 本戦ではエースの弓田君が見事なポイントゲッターぶりを発揮していたが、その弓田君の敗北を3人の中では最もキャリアの浅い原君が挽回してチームを勝利に導いたり、主将格の白井君が、自ら大将を買って出たりと、これまでにない伊那中の強さが出た。1年生のみで結成された地方都市の公立校が勝ち上がるのは大変困難な筈なのだが、これらのハンデを苦しみながらも跳ね返して4位に入るという、再びの快進撃をやってのけた技術の高さと精神面の強さには、ただただ驚くばかりである。 団体戦ばかりでなく個人戦においても、伊那中勢の活躍は目覚しく。この年の中学選手権の南信予選では、この3人と中村祐貴君の4名で上位を占め。ここで1位代表となった弓田君は前年の小学生3冠に続いて中学生でも選手権・団体戦の2冠王になった。 そして何より弓田君は支部名人戦で物凄い活躍を見せる。前年は小学生ながらベスト4、翌年の平成21年には中学1年生ながら準優勝という活躍ぶり。またアマ名人戦にて南信代表になったのも中学生時代の話であるのだから恐れ入る。研修会で更に磨きを掛ける弓田君は、間違い無く今後の長野県の学生棋界を牽引する存在になるであろう。 その伊那中であるが、今回のオール学生大会ではチーム結成に至るまでは難航を極めたようだ。これは私の想像になるが彼等はあくまで「伊那中三棋士」での参戦を目指していたと思う。だがテストや部活動で忙しかったのがネックになったようだ。 それでも弓田君が、何とか参戦に意欲を燃やしてメンバー集めに努めたのだが、白井君と原君がスケジュール調整に苦心する。またそれとは別に上田支部会員、中沢良輔君の存在も、弓田君にとっては忘れる事が出来なかったであろう。 何しろ1月前の東急団体戦では、弓田君と中沢君が、太田啓介君を交えたトリオで参戦。彼等がいつ意気投合したのかは知らないが、チームワークの良さは伊那中三棋士と全く引けを取らないモノがあった。伊那勢の明朗活発なムードは中沢君にとっても水が合っていたのであろう。ただその中沢君も小山源樹君辺りと東信代表チーム的なチーム結成が考えられるという微妙な立場であったと思うのだが・・・ 結局白井君が都合がつかなかった事、小山君が塩尻支部勢と合体した事によって弓田・原・中沢の3君によるトリオが結成され「いけいけチーム」として参戦する事になった。3人の個性からして「いけいけチーム」とはナイスなネーミングである。 とはいえ中沢君は急成長中とは言っても、当時まだ9歳。この年の朝日アマ名人戦で代表決定戦まで勝ち進んだ白井君の穴を埋めるのは、至難の業かと思われた。ましてや今回の相手チームである「帰ってきた熊ちゃんズ」には小山君のみならず、後の支部対抗戦で塩尻支部ベスト8進出の立役者となった中村、熊谷の両選手を擁した強力なトリオであるだけに苦戦は必至であった。 事実「いけいけチーム」は大苦戦を強いられた。ところが・・・ |
塩尻支部「帰ってきた熊ちゃんズ」と伊那中「いけいけチーム」の準決勝の戦いは、弓田VS小山、原VS熊谷、中沢VS中村という組み合わせ。とりわけ弓田VS小山戦は、今や長野県の学生棋界屈指の黄金カードで、団体戦だけでも私が知る限り3度目の激突である。とりわけ今回の大会は1試合毎にメンバー変更が認められているにも関わらず、この黄金カードが実現した。
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大詰めを迎えたオール学生団体戦。松本深志高VS伊那中の団体有名強豪校同士の対決となった決勝戦の行方もさることながら入賞争いに直結する1敗同士の対決2局も注目された。 1敗同士の対決は信州大学VS松本道場支部、塩尻支部VS長野支部。これに岩村田女子トリオと対決する永明小(岡谷道場支部)が激しい入賞争いを繰り広げていた。入賞圏内は3位までである。 この時点で全勝・1敗は7チーム。この内の5チームが小中学生チームである中、信州大学勢で唯一踏ん張っていたのが「orz」であった。主力選手を3チームに振り分けていながら岩村田高や松本深志高チームを破り入賞圏内に残っていた。これに相対するは「松本道場3人組」この勝負は2-1で松本道場支部チームが勝利を納め3位入賞を果した。 準決勝で惜敗した同士の戦いとなった「帰ってきた熊ちゃんズ」(塩尻支部)と「北信少年」(長野支部)の対決は、塩尻支部が熊谷君の全勝こそ阻止されたものの、残りの2人がキッチリと白星を挙げて1敗を堅持。両チーム共に3位決定戦という気持ちで戦っていたと思うのだが、集計の結果、塩尻支部チームが上位に浮かび上がり、準優勝と相成った。 そして「Dragonfiy」(松本深志高)VS「いけいけチーム」(伊那中・上伊那支部)の決勝もクライマックスを迎える。 県高校団体準優勝チームと、文部科学省杯にて小・中学生両部門共に東日本を制覇した全国4強チーム。共に選手の面子のみならず、団体チームとしても輝かしい実績を両チームは持ち合せた言わば長野県学生棋界の目玉とも看板とも呼べるトリオの選手が主軸を成している両校の戦いとあって、決勝戦に相応しい激しい熱戦が繰り広げられた。 伊那中は弓田君が、松本深志高は中村君が白星を挙げており、優勝の行方は深志のエース小林君と伊那中の助っ人中沢君の一騎打ちに委ねられた。この年に発足した大会の決着が、この年の長野県棋界を盛り上げた学生棋士同士の対決によって付けられる。正に平成21年の長野県学生棋界を象徴するような状況であった。 この勝負は、中沢君が前半優位に立ちながらも、小林君が持ち前の二枚腰を発揮して追い上げる激戦となったが、軍配は中沢君に上がった。中沢君は準決勝に続いて再びエースを打倒した事になる。誠に持って恐るべき、そして末頼もしい小学4年生であった。 これによって栄えある初代・長野県オール学生団体戦優勝チームは弓田潤、原悠一郎、中沢良輔の3君によるトリオ「いけいけチーム」に決定した。 |
全ての対局が消化され、後は表彰式を待つのみとなった。戦いが終れば地区もチームも、まして順位などは関係無く、あちらこちらで将棋を指したり談笑したりして表彰式・閉会式を待った。
(完) |
第1回オール学生将棋大会レポートはこちらです。 |
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